「自民党が邪悪だから」ではない、「これが最適解」なのだ

しかしながら、かれらが望むように大臣を辞職させ、あるいは自民党政権を倒してしまえば、こうした状況がすっきりと解決するのかというと、残念ながらそうはならないだろう。

一見すれば国民とその権利を舐め切っているとしか見えないような脱法的な責任回避スキームを自民党が次々と繰り出してくるのは「自民党が邪悪だから」でもなければ「憲政の破壊者」だからでもない。

「いまのこの国の政治的・社会的風潮ではこれが最適解だから」である。

かりに政権を持っているのが自民党でなくても、それがどの政党であろうが、いま自民党がやっているのとまったく同じことをやるインセンティブがあり、その誘惑には抗えないということだ。いま、善かれと思って「自民党を倒せ」「西村辞めろ」とツイッターデモを展開している人びと(あるいは、かねてより「アベ政治を許さない」などとシュプレヒコールをあげていた人びと)は大勢いる。

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「失敗したらやめろ」の風潮が無責任政策を生み出した

しかしかれらのような「失敗したらその責任を取って辞めろ」という考えを当然視するような風潮こそが、時の政権が「自分たちの究極的な責任は回避できる脱法的スキーム」「自分たちに責任があるような言質を絶対に取らせない徹底したエクスキューズ」を展開するインセンティブをますます強化してしまう。

「リスクを取らない」「責任を取らない」が、自身の政治的立場の破滅(政権転覆)を回避するための最善手になってしまう政治的・社会的風潮のもとでは、たとえリスクのともなう政策決定が全社会的にプラスであろうが、成就しなかった場合のダメージが大きすぎるため、だれもあえてやりたがらない。それは自民党にかぎらず、立憲民主党だろうが共産党だろうが、どの政党が政権を握ろうと同じだ。

というより、むしろ野党こそが今日に至るまで「失敗したならやめろ」という「市民の素朴な感情」を政治闘争に援用してきた。彼らが政権与党になったときには、自分たちが振りかざしてきた論理がそのまま跳ね返ってくるため、自民党以上に「失敗しない」「責任回避」を行う動機が強くなってしまう。

重大なリスクをともなう意思決定をしなければ(≒言質を取られなければ、発言をしなければ、行動を取らなければ)重大なリスクも発生しない。究極的な責任を取らず、不利な言質を徹底的に回避しながら、政権批判材料となりうるリスクをひとつずつ潰すアリバイ作りに邁進することが、自民党にかぎらず、あらゆる政治政党にとって長期政権を築くための最適解になる。

これは自民党だけでなく、野党もマスコミも、そしてほかでもない国民も含め、全員が望んで実現した「均衡」そのものである。