当時の南部の人たちにとって奴隷は「財産」だった

しかし、南部では別の物語がある。

南部各州に行くと、ところどころでリー将軍の像に出くわすことに驚く。リー将軍の像だけではない。ここ数年間だいぶ減ったもの、南北戦争の象徴だった南軍の旗もいまだ市庁舎などの公的な場所にいまだ掲げられているのを目にする。

南北戦争当時の奴隷制については、綿花などの大規模プランテーションが南部経済の中心であり、奴隷の労働力が必要だったという経済的な事情もあった。そして、そもそも既に奴隷制度が社会に組み入れてしまっていたことも大きい。1860年の国勢調査によれば、当時のアメリカの総人口3144万人のうち、人口の12.5%にあたる395万人が奴隷だった。奴隷所有の多く南部とすると、さらに人口比では大きくなる。

あくまでも当時の南部の人たちの意識からすれば、奴隷は「所有物」であり、自分の「財産」が「人権」を理由に国家に放棄させられるのは納得できなかった。

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上野公園の西郷隆盛像を撤去するようなもの

10年度ほど前、調査で訪れたアラバマ州で当時50歳台の白人男性が私に言った言葉が忘れられない。

「私の先祖は確かに負けた。ただ、負けたとしても自分たちの生活を守ろうとした先祖たちを侮辱されるのは耐えられない」。

彼の曽祖父は南軍に従軍し、負傷したという。

彼のような人物からすれば、自分たちの祖先の想いを託した人がリー将軍であり、祖先たちの心の中には南軍旗があった。リー将軍の像の撤去も旗を掲げないことも「歴史修正主義」とみえる。

誤解を恐れずに、明治維新関連で南部の白人の一部の意識を例えてみたい。南軍への想いは、「戊辰戦争で負けた会津藩の悔しさ」であり、リー将軍像の撤去は、上野公園の西郷隆盛像を「征韓論を唱え、国際協調を軽視した」として撤去するようなものなのかもしれない。