豊かさを構成する4つの「自由」

どのような社会であれ、私たちの共通の目標になるのは「豊かな暮らし」でしょう。私たちは、それを「幸せ」と感じます。

では、豊かさとは何でしょうか。よくいわれるのは、「物質的豊かさ」と「精神的豊かさ」という対比です。モノは豊かになったが、ココロは貧しくなったという議論です。この議論も理解できますが、どこか腑に落ちない、十分には言い尽くしていない印象があります。

以前、「幸せとは何か」というテーマでエッセイの執筆を依頼されたことがありました。「幸せとは何か」「豊かさと何か」と図解をしながら考えて導き出したのは、「豊かさとは自由の拡大である」という結論でした。

最初に思いつくのは、「経済的自由」です。経済的に自由であるとは、使い切れないほどのお金があることではありません。多少のお金がかかっても、どうしても何かをしたい、買いたいと思ったとき、お金の支出と天秤にかけて、お金がかかるという理由であきらめないですむという程度にお金があるということです。

次に浮かぶのは、「時間的自由」です。何かをしたいと思ったとき、ほかにやらなければならないことがあり、やることができないという状態では時間的自由があるとはいえません。とはいえ「毎日が日曜日」という状態は、逆に自由であるとは感じなくなるでしょう。やりたいことの優先順位が高い事柄について、自分以外の事情によって阻害されなければ時間的自由があるということです。

この経済的自由と時間的自由は、実は「肉体的自由」によって支えられています。日常ではあまり意識されませんが、健康は豊かさの基礎的条件にほかなりません。経済的自由を「カネ」、時間的自由を「ヒマ」、肉体的自由を「カラダ」と言い換えると、「カネとヒマとカラダ」が豊かさを示す指標になります。

さらに、もう1つ重要な要因があります。「精神的自由」です。精神的自由というと、やりたいことをやる自由、言いたいことを言う自由といったイメージが浮かびます。それ以上に、やりたくない仕事をやらなくてよい自由、言いたくないことを言わなくてもよい自由、会いたくない奴に会わない自由の方が大切かもしれません。これが「ココロ」の自由です。

それでは、自由を構成する4つの要因は、どのような関係にあるのでしょうか。カネとヒマとカラダは、実は豊かさを支える部分ではないか。カネとヒマとカラダの自由で何をするのか。それがココロの自由ではないか。つまり人生とは、肉体的自由(カラダ)を土台に、経済的自由(カネ)と時間的自由(ヒマ)を得て、最終的に精神的自由(ココロ)を求める旅である。これが私の結論でした(図表1)。

出典=『50歳からの人生戦略は「図」で考える』(プレジデント社)

この4つの要因のバランスは年代によって変わります。たとえば子どもの教育資金が必要な年代は、時間的自由より経済的自由が優先され、その結果、生活のなかで「公」の占める部分が「私」や「個」より優先されることがあるかもしれません。

本稿で特に注目したいのは、壮年期に入ってからの「豊かな暮らし」です。今後訪れるであろうピンチやチャンスに向き合うとき、「豊かさとは自由の拡大である」という指針を念頭に、4つの要因の中で、どれを優先するか、自分なりにバランスをとりながら、人生戦略を立て、現在と未来の自分のライフデザインを描く必要があるのです。