発端は幼少期に行かされた学習塾

振りかえれば僕は、幼稚園から大学までまともに通えていた時代がありません。

釣りに行ったときに釣れた魚でアクアパッツァを作りました。ビギナーズラックでたくさん釣れたので、この週はずっと魚料理でした(写真=筆者提供)

高校3年生のときなど朝のホームルームから帰りのホームルームまでいた日数は6日でしたし、大学も卒業までに7年を要しました。

これまで30種類くらいのアルバイトを転々としてきましたが、どれも長つづきしませんでした。ステーキハウスに居酒屋、ファストフード店の飲食業で働いていた時期もあれば、交通量調査員としてカチカチカウンターを押していた日もあります。早朝に銭湯浴場を清掃したあと、建設現場で鉄筋に付着したコンクリートをかたっぱしから破壊していた夏もあります。

東北地方まで木の高さを測りに行き、「この作業のどこにお金が発生しているのか」疑問に思いながら獣道を長靴で歩いたこともありました。

内容はどれも面白かったのですが、結局同じところに同じ時間に行くことに耐えられなかったがためにやめてしまったのでした。

「同じ場所に同じ時間に行く」という、みんながあたりまえにできることがなぜ僕には できないのでしょうか。

いまさら幼いころの教育環境に原因を追及するつもりもありませんが、同じ場所に同じ時間に行かされることをはじめとする「あたりまえ」に拒否反応を示しはじめたのは、幼少期の学習塾が発端でした。

いわゆる教育ママの元に育った僕は、2歳のころから公文式に通わせてもらっていました。

絵を描くことが好きな子どもだったこともあり鉛筆や紙にはなじんでいたはずなのですが、入塾前に渡されたペーパーテストに、

問 点Aから点Bまで線を引っ張れ

という指令が書かれていたことに、ものすごく窮屈な気持ちになってしまったのです。ものごころつくのが早かったからか、なにかその紙に「義務感めいたもの」を感じたうえに

「この線を引っ張ってしまったらこれから先、厄介な紙がたくさんやってくる」と直観的に感じとってしまいました。

「僕サラリーマンむりだわ!」と4歳で悟る

その場で泣きだした記憶こそありますが、なんせ2歳でしたので「お母さん、息子の意志を尊重してくれ。むしろペーパーテストを疑問視するこの姿勢に賭けてみよう」などと切りかえすこともできず、結局僕は公文式に通うことになりました。

体型を気にする女性も多いので、水分を多く含むサラダと野菜たっぷりのおみそ汁は欠かせません(写真=筆者提供)

ここでも勉強する内容自体を嫌いになることはなく、ほめられることがうれしくて算数も国語も漢字の書きとりもどんどんすすんでいきました。

転機は4歳のときでした。学習塾からの帰り道、「僕サラリーマンむりだわ!」と突如天啓のようなものが降ってきたのです。

マセていた僕は、大人は月から金の間、同じ時間に同じところに通う生活を送っていることを知っていました。そして決められた毎日がつづくであろうこれからの将来に対してえもいわれぬ不安が襲ってきたのです。

月曜と水曜に必ず学習塾に行かされていることと、2歳のころの直感的な「義務感めいたもの」が同じ違和感として重なったのだとも思います。