1985年の初演で好きだったシーンに、インカ王アタウアルパをロープで縛り、老いたスペイン将軍ピサロが馬を調教するかのように引きずり回すところがあります。ですが20年、演出のウィル・タケットは「僕はロープを使わないよ」と言ったのです。たしかに演出的にもさばきやすくなるのですが、何より“見えないもの”にわれわれは縛られているのだという点に、今回の場合、僕は強く同意しました。

この舞台で、そしてピサロという役を演じるにあたって、僕が何を得て、何を喪失し、何を思うのか。それはぜひ舞台を体験して皆さんに感じていただきたいところです。僕が言ってしまうと「こう表現したいんだぜ」と押し付けがましくなってしまいますからね。

本番の幕が上がってから下りるまで、すべてが旅のよう

ただ実際、それは毎回違うのです。僕はよく舞台を「旅」にたとえます。稽古から終演するまで、本番の幕が上がってから下りるまで、すべてが旅のようで、どの稽古でも、どの公演でも、どんなときも、獲得し失うものが微妙に変わってきます。

そうやって生まれたバイブレーションをお客さんが受け止めて、われわれに投げ返す。ライブとはよくいったもので、それでこその演劇なのだと思います。ですが20年は、新型コロナウイルスの影響でそのやり取りが可能な状況ではなかった。ドアが閉まり、幕が上がったそのときに、劇場は異次元の空間になるべきだと思うのですが、客席にもどこかコロナに対する悲壮感が漂っていて、うまくコミュニケーションが取れなかった。21年はお客さんもわれわれとの交流を求めているし、それができる環境になってきたという期待感を抱いています。

あえて言うなら、『ピサロ』もまた「旅」の物語なのだと思います。最後のシーンでアタウアルパを自らの腕の中で抱くとき、自らの終焉を見つめるような感覚がある。この作品は、終焉の場所を探す旅なのかもしれません。このライブを皆さんと共有したとき、果たして何が生まれるのか。今からとても楽しみにしています。

(構成=プレジデント編集部 撮影=宇佐美雅浩)
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