「皇族らしくない」だけでは、本当の自由は得られない

だが「次男の次女」の天然さだけでは、佳子さまは語れないと思う。いつからかはわからないが、自覚的に「自由」を志向した。背景にあるのが芯の強さで、その発露が二度にわたる記者への回答だったと思う。

そして2021年の歌会始、佳子さまは「空」を目指す綿毛を詠んだ。それは意志の表明であると同時に、コロナ禍で鬱屈とした国民の思いも重ねている。みんな、空へ飛びたいんだ。そんな深読みをしたのは、“佳子さま贔屓”の私だけだろうか。

佳子さまは、どんな自由を望んでいるのだろう。「皇族らしくない」ことを選ぶ強さは身に付けている。が、それだけでは、本当の自由は得られない。そう考えると切なくもなる。

しかも父は「家全体を考えなければならない立場」

この歌には、眞子さまを取り巻く不自由が大いに関係しているだろうと思う。2020年11月、眞子さまは小室さんとの結婚を強く望む文書を改めて発表した。それを踏まえ、秋篠宮さまも同月の会見で「結婚を認める」と述べた。が、同時に「結婚と婚約は違いますから」とも述べた。

この言葉を名古屋大学の河西秀哉准教授(歴史学)は、朝日新聞デジタル(12月1日)の記事で「苦しいジレンマを感じた」とコメントしている。

「眞子さまの父親である秋篠宮は、皇太子として生まれ育ったわけではなく、次男として非常にのびのびと育てられました。自分自身の結婚を含めて自由闊達に生きてきたし、そうしてきたという強い自負があると思います」
「しかし、気楽な次男坊だったはずが、皇室典範特例法で定められた『皇嗣』になってしまいます。皇室という『家全体』を考えなければならない立場に立つと、権威や体面、保守層との関係といったことを考慮せざるを得なくなったのでしょう」

写真=iStock.com/Tom-Kichi
※写真はイメージです

天皇陛下も21年2月、誕生日にあたっての会見で眞子さまの結婚について述べた。両親との話し合いを求め、「多くの人が納得し喜んでくれる状況」になることを願うという内容だったが、「遠ざかる結婚」などと報じられた。

佳子さまが使った言葉にならって、眞子さまを「一個人」として見れば、誰と結婚するのかは当人の自由に決まっている。だが、皇族の1人であり、しかも父は「家全体を考えなければならない立場」。それゆえの不自由さに眞子さまは、苦しんでいる。そこに追い討ちをかけているというべきか、そもそもというべきか、女性皇族という存在の曖昧さがあると思う。