投手か野手か、誰が世界最高峰のリーグで一番通用したのか?

誰が最高峰の野球リーグで通用したのか。活躍度を項目別に分けてランキング化してみた。

まず、実働年数で見てみよう。メジャーの戦力として認められ、プレーし続けたシーズンの年数だ。MLBの契約はシビアだ。どんなに実績や人気があっても、戦力にならないと見たらバッサリ切るし、実績ゼロでも戦力になると見込んだら厚遇で契約する。その契約を勝ち取り、それを継続できたことを示すのが実働年数。最もMLBの選手としての価値を端的に示す数値といっていいだろう。

この実働年数1位はイチローで18年だ。2位は先駆者の野茂英雄で12年。3位は10年で松井秀喜と大家友和が分け合った。以下は長谷川滋利、上原浩治、田澤純一らが続く。MLBの球団から戦力として認められて契約できたという点で、この実働年数の順位が活躍度を示すランキングといっていいのではないだろうか。

投手と野手を分けて見ていこう。

【メジャーで一番通用した日本人投手は誰か】

まずは投手である。

登板数1位は野茂の2年後の1997年、MLBに挑戦した長谷川滋利だ。517登板を記録している。登板数が多いのはリリーフ役(セットアッパー)を任されていたからだが、実働の9年間、コンスタントに起用され続けたのは、首脳陣から実力が認められ信頼されていたからだろう。地味な存在ではあったが、日本人投手のレベルの高さをMLBに知らしめた功労者といえる。

2位・上原はクローザー、3位・田澤はセットアッパー、4位・斎藤はセットアッパーとクローザーと上位4人まではリリーフ投手が占める。先発投手として最も登板数が多いのは5位の野茂だ。通算登板数323のうち、318回が先発登板。実働の12年間、先発ローテーション投手として投げ続け、この数字を積み重ねたのは立派というしかない。

なお、6位・岡島、7位・大塚、8位・佐々木はリリーフ投手として活躍したが、9位の黒田博樹、10位の大家友和も先発投手。それで200以上の登板を記録しているのは称賛できる。

通算勝利数1位は、やはり野茂だ。123勝まで積み上げた。1995年、野茂がドジャースのユニフォームを着てMLBでプレーを始めた時、日本のファンは「果たして通用するのか」という目で見ていた。

レジェンドNOMOはいかにして記念すべきメジャー1勝目をあげたのか

メジャーデビューは5月2日のジャイアンツ戦。先発した野茂は5回を投げ、被安打1、奪三振7、無失点という好投を見せた。勝ち星はつかなかったが、1試合目から十分通用することを証明したのだ。ファンの興味は「初勝利はいつできるのか」に変わった。その後も先発し好投するものの白星にはつながらず、衛星中継を固唾をのんで見る状態が続いたことを筆者もよく覚えている。

そしてデビューから1カ月後の6月2日、メッツ戦で7度目の先発登板した野茂は8回を被安打2、失点1の好投を見せ、ついにメジャー初勝利をあげたのだ。この時、日本は歓喜に沸いた。日本人投手がMLBで1勝することは、それほど重いことだったのだ(日本人メジャーリーガー第1号の村上雅則は5勝をあげていたが)。

ここから野茂の快進撃が始まる。6月だけで2完封勝利を含む6連勝。この活躍が評価され、野茂はオールスターゲームに選出。ナショナルリーグの先発を務め、この晴れ舞台でも2回無失点の好投を見せた。シーズンを通しては13勝6敗、防御率2.54(ナ・リーグ2位)、最多奪三振236という輝かしい成績を残した。

この快挙に加えて日本のファンを喜ばせたのは、アメリカでの野茂人気の高騰だ。体をよじるようにして投げる独特の投球フォームは「トルネード」と呼ばれて注目を集め、「ノモマニア」という熱烈なファンも多数現れた。野茂のMLB1年目の大活躍で、アメリカ人の日本人選手に対する評価が一変し、日本の球界関係者やファンもMLBコンプレックスがなくなったといえる。野茂はそれほど大きな役割を果たしたのだ。

すぐに野茂に続く日本人選手が現れるようになる。翌年には日本のプロ野球を経験していないマック鈴木が、その後も長谷川、伊良部秀輝、吉井理人、大家友和、佐々木主浩らがメジャーに挑戦し、それぞれの持ち味を生かして好成績をあげるようになった。

ただし野茂以降の5年間でメジャーに挑戦したのは投手のみ。投球術やキレのある変化球を駆使して「打たれなければいい」投手と異なり、野手の場合は、打撃でも守備でもメジャーのパワーやスピードに対応しなければならず、通用するのかまだ疑問視されていたのだ。