自分らしく生きて、自分らしく死ぬために
清川は間もなく、実父が亡くなったのと同じ年齢を迎える。自分もいつ病に倒れるかわからないから、すでに“終活”を始めているという。ドヤの住人たちの奔放な生き方は、清川の終活に大きな影響を与えている。
「ここの人たちのお世話をすることはとても疲れることなんですが、感覚的には貰ってるものの方が多い気がするんです。最初はそうは思わなかったけれど、この町から私の中に入ってくるものを一所懸命消化しているうちに、それが自分らしく生きて、自分らしく死ぬために集めている部品のひとつになっていく気がします」
自分らしく生きて、自分らしく死ぬための部品……。
「実は私、小学生の頃から優等生で、中学高校時代のあだ名が『おのれ』だったんです。おのれに厳しいの、おのれ。それがすごいコンプレックスだったんですが、でも、ずっと堅い性格を崩すことができなかった。それが、この町に来てから、ああ、ちゃんとしなくてもいいんだって思えるようになったんです」
2015年、横浜市は寿地区の簡易宿泊所の住人に対して、平成4年から実施されていた住宅扶助の特別基準の適用をやめることを決定した。その結果、住宅扶助の受給額は6万9800円から一般基準の5万2000円に引き下げられることになった。
現在、簡宿の宿代は水道光熱費込みだが、この引き下げで経営が厳しくなれば、住人から水道光熱費を徴収せざるを得なくなる。そうなれば、住人の生活は急激に逼迫し、寿町への新規の流入は激減するだろう。横浜市はこれを契機に、簡易宿泊所から一般のアパートへの転居指導を強化しているという。
寿町は横浜スタジアム、中華街、元町といった横浜の観光名所や、カジノの候補地(山下埠頭)にも近い。そんな一等地をドヤ街にしておくのはもったいないと考える人は、多いだろう。
だが、家族にも施設にも病院にも見放された人物が、なぜか寿町では生きていけるのだ。この町にはやはり、どんな人でも受け止めてしまう不思議な力がある。
「私、ここで働くようになって、どんな人でも少しの手助けでその人らしく生きられるなら、私ひとりでも、その人らしく生きてほしいと願うようにしようって思うようになったんです。ここにいる人たちは何よりも自由を大切に生きてきた人たちだから、最後までその人らしく暮らしてほしいって、願っているんです」
こう言うと、清川はひとすじの涙をこぼした。