1990年代中盤、リコーがデジタル化に大きく舵を切った頃のことです。長年携わったファクシミリ部門から、リコーの本丸である複写機部門に配属されたとき、与えられた使命は複写機のデジタル化でした。私はデジタル化の未来を確信していましたが、技術者の中には納得できない人もいました。しかしデジタル化は会社の規定路線です。だから会議ではデジタル化の是非ではなく、「いかに効率よくデジタル化できるか」だけを話し合いました。夜の8時ぐらいから10時過ぎまで管理職を缶詰めにして、毎日のように試行錯誤の結果を持ち寄って議論し、宿題を出しました。

すると技術者とは不思議なもので、「やらなければいけない」という気持ちになってくる。基本的にNOとは言わない、与えられた課題はクリアしなければ気が済まないのが、技術者という人種です。

私はデジタル化にする理由を100%納得してもらおうとは思っていませんでした。ただし、自分の考えはわかりやすく話す努力はしました。同時に「自分たちにもできるんだ」と現場が思えるような小さな流れを意識的につくり、それを大きな流れになるように仕向けた。そのための目標値を細々と決めて縛り付けるような小さな議論はしないようにしました。

振り返れば、このとき、会議のやり方というものを随分学んだように思います。職人である設計者や技術者を動かすには、論理的に納得させ、頭の中を共有するという作業が必要です。そのために会議の内容を電子黒板にまとめるのが得意な人を“会議屋”さんに仕立てました。

アイデアを出してもらうために会議の場をリラックスさせたり、緊張感を持たせるために叱り飛ばしたこともあります。気をつけてきたのは、会議で激しく意見交換した相手は、後できちんとケアすること。また会議の場で元気がなかったり、気になったメンバーにも後で声をかけたり、電話をする。フェース・トゥー・フェースで相手の目や表情を見ながら話せる会議だからこそできることです。