利害関係のない世界を持っておく

以前取材をした外資系企業の日本法人社長は、気取らない自然体の人物だった。彼は趣味の果樹園栽培がきっかけで大工やトラック運転手、電気工などの仲間ができ、「彼らに連れられてイモ掘りやシイタケ作り、アユのひっかけなどアウトドア・イベントに行くのが何よりも楽しい」と話していた。自分と同じような地位であるとか、似たような境遇の人と仲良くなるのはたやすいことだが、普段知り合う機会がなかなかない人たちと仲良くなるには柔軟な思考を持っていないとむずかしい。

林美保子『ルポ 不機嫌な老人たち』(イースト新書)

私はテニスが趣味なのだが、テニス仲間には老若男女、実にさまざまな人がいる。このような集まりには肩書もバックグラウンドも関係ない。すべてがフラットの関係だ。私のようなフリーランスはもともと肩書などないに等しいが、年功序列の世界で生きてきた人たちも、このような利害関係のない世界を持っていれば、オンオフを使い分けて、肩書が要らないときの自分の処し方が身につくのではないだろうか。

ボランティアグループに入ったとき、いろいろな世界で生きてきた人がいるものだなあとつくづく思ったことがある。趣味仲間の場合には、趣味を楽しむだけなのでそれほどバックグラウンドの違いは浮き彫りにはならないが、ボランティア活動の場合には組織を運営する中で、さまざまな価値観がぶつかることがあるのだ。

ヨコ社会になじめることが老後を心地よく生きるポイント

専業主婦の中には考え方が狭いなあと思われる人もいた。驚いたのは、ある元会社員の社会性のなさだった。長年、仕事に従事していれば自然に社会性は身につくものではないのかしらと疑問に思ったものの、後になって気がついた。世界が狭くなりがちになるのは家庭の主婦だけではない。社会人として生きてきた人でもずっと同じ所に勤めていれば、そこでの常識しか知らないのだと。要は、人は自分が生きてきた世界のことしか知らず、その世界で通用する常識が、どこに行っても常識だと思っているということだ。

だから、定年になっても管理職気質が抜けない人は、自分の仕事環境しか知らずに生きてきた人なのだろう。定年になってヨコ社会に変わったとき、いかにフラットな感覚に頭を切り替えることができるのか。それが、老後を心地よく生きるためのポイントになるのだと思う。

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