「アベ支持者」を軽蔑する気持ち、憎む気持ち

京都精華大学の講師が、安倍前首相にねぎらいのコメントを表した有名ミュージシャンに対して「醜態をさらすより、早く死んだほうがいいと思います」などと評して物議を醸したが、当該の講師は同時期に発表された論考でも、安倍晋三が多くの人に支持されているという現実に耐えがたい苦痛を感じていたことを吐露していた。ほとんど全編にわたって「アベ」と同じくらい「アベ支持者」に対する軽蔑と憎悪が展開されていた(なおこの人物は2017年の論考ですでに、自民党を批判する文脈において「判断力がない人間に参政権を与えるのは不適切」であると主張している)。

数知れない隣人たちが安倍政権を支持しているという事実、私からすれば、単に政治的に支持できないのではなく、己の知性と倫理の基準からして絶対に許容できないものを多くの隣人が支持しているという事実は、低温火傷のようにジリジリと高まる不快感を与え続けた。隣人(少なくともその30%)に対して敬意を持って暮らすことができないということがいかに不幸であるか、このことをこの7年余りで私は嫌というほど思い知らされた。
論座『【1】安倍政権の7年余りとは、日本史上の汚点である』(2020年8月30日)より引用

また同時期、ツイッターでは「あーいい人だけで国つくりたいなー」などと大学教員が発言したことが大きな話題となった。大学教員などという、知的労働者の上澄みの中の上澄みにもなってくると、国や共同体を支えているのがどういう人間かについてのリアリティがなくなってくるのだろうか。

@nakano0316のツイート https://twitter.com/nakano0316/status/1301652742000189440より)

言語的・抽象的記号操作に長けた、自分たちのような「いい人」だけがより集まっても、道路はつくられないし、作物は育たないし、住宅もビルも建たない。社会の基礎的インフラの構築や維持に従事しているのは往々にして、彼ら「いい人」が嫌悪し軽蔑してやまない「いい人でない」の側の人びとなのだが……。

「いい人」の自分たちが割を食っているという感覚

いずれにしても、こうした発言に共通するのは「判断力に欠ける愚か者がわれわれと同じ権利を持っているせいで、その連帯責任を負わされるこっちの身にもなってくれよ」という感覚である。彼らはもはや「いい人」である自分たちリベラリストと、「いい人でない」アイツラがひとつの国においてまったく等価の自由や権利を付与されていることについて、耐えがたい苦痛を感じるようになっているのだ。

知的にすぐれ、社会的・文化的にも洗練され、人権感覚がアップデートされていた自分たちと、リテラシーも判断能力も欠如し、さらには人権意識のジの字もないアイツラが、同じ一票、同じ自由、同じ人権を持っていて(しかもそのアイツラ側が支持する政治勢力が勝ってしまう)、さらにはそれを民主主義が正当化してしまうことに、もはやウンザリしているのだ。

「判断能力のない阿呆どものせいでアベ政治に7年も付き合わされた」と考えているリベラリストたちにとって、さらに菅政権でその「延長戦」が必至となっている現状はすでに我慢の限界を超えている。「よりすぐれた判断力を持つ人に限定して権限を付与するか、あるいは『いい人だけの国』をつくった方が、『アベ』や『スガ』を支持するまともな判断力も見識も人権感覚も持たない彼らに煩わされないで済む」――というのは、けっして冗談ではなく大真面目な述懐なのである。