自民党の「自助・共助」推奨は今に始まったことではない

もっとも、自民党が「自分や自分の親族」による互助的関係性の構築を推奨してきたのは、なにもいまにはじまったことではない。むしろ自由民主党結党以来の一貫したポリシーであるようにも思える。

自民党内のネオリベラリズム(新自由主義)派の議員は、リベラリストと異なり、いわゆる家族親族の互助的関係性を否定しない。むしろそれらが社会の基礎的なインフラとして存在することの重要性を説く。こうした主張は一見すると共同体主義者や保守主義者と利害が一致するが、実際には彼らの思惑はまったく別のところにある。

――というのも、ネオリベが家族や親族を肯定的に評価するのは、経済競争によって生じる失業者や傷病者などいわゆる「市場の失敗」を家庭に押し付け、これを社会の表舞台から不可視化する役割を担わせることができるからだ。「市場の失敗」について、政府の責任領域を極力小さくするために合理的であるからこそ、家族や親族の役割を肯定的に強調しているにすぎない。国のいしずえとして家族や親族といった血縁的つながりがあることを説く保守主義者や共同体主義者とはまったくコンセプトが異なっている。

菅首相が根っからの新自由主義者であるかどうかは議論が分かれるところであるが、しかしながら「安倍政権を継承する」ことを表明していることから、「アベ政治」を厳しく批判してきた左派・リベラル派の人びとからは、「菅政権」の評判はすでに最悪である。

リベラルにとって長すぎた「アベ政治」

「アベ政治」が治めた7年半は、安倍政権を痛烈に批判し続けてきた左派・リベラル派の人びとから「余裕」を失わせるには十分すぎるほどの時間だった。安倍前首相が辞任を表明して以来、内閣支持率が急上昇したことも、その追い打ちをかけているのかもしれない。

いま、左派・リベラル派の人びとは「リベラリズム」にもはや耐えられなくなってきている。「リベラリストがリベラリズムに耐えられなくなっている」というのは、文字列にしてみると矛盾しているようにしか見えないが、しかしそうとしか評しえない情況になりつつあるようだ。