こちらが下手に出れば出るほどクレーマーは増殖していく

たとえば、株のトレーダーで年間何億円も儲けている人は、不倫してバッシングを受けようと誰にも謝る必要はない。犯罪にさえかかわらなければ、誰がどんなクレームを言ってこようが馬耳東風である。

それからコワモテのヤバいやつ、文句を言ったら逆ギレして殴ってきそうなタイプの人もクレーマーは避けるよね。5月下旬に東京・大田区の路上をベンツで暴走し、歩行者を轢き殺した変な女性がいた。

池田清彦『自粛バカ』(宝島社)

この人は近所の鼻つまみ者で、いろいろと奇行を繰り返して近隣住民とトラブルになっていたらしいけれど、そういう人はちょっとやそっとのクレームぐらいでは行動を改めようとしない。みんなが迷惑がって文句を言っていたらしいが、警察も明らかな犯罪行為でない限りは動いてくれないから、文句を言う程度ではどうすることもできない。この手の人はある意味無敵で、クレーマーはお手上げだ。

ネットでも同じことが言える。ツイッターでは何かやらかして言い訳すると火にガソリンを注ぐようなもので、いろんなやつから罵詈雑言が飛んでくるけれど、反応しなければ相手も面白くないから2週間ぐらいすると何も言ってこなくなる。あるいは「うるせえ、バカ野郎」と逆ギレすればクレームはあまり来なくなる。

私は面倒くさいのでアホなやつは全部ブロックしているけれど。結局、ネットでも現実社会でも、こちらが下手に出れば出るほどクレーマーが増殖していく構造になっている。クレーマー相手では社会的立場が弱みになるんだ。

「いいね」がつくと社会に認められたと錯覚できる

情報社会になり、これだけSNSや匿名のメディアが発達すると、誰に対しても簡単に意見を言うことができる。それで日頃の鬱憤を晴らそうって人が出てくるわけだ。

昔は社会に何かを言いたい場合、新聞に投書するぐらいしか方法がなかった。でも、今はツイッターにフェイスブック、匿名掲示板、ヤフーニュースへのコメントと、投書よりも簡単に意見を言うことのできる場所がある。それでその発言に多くの「いいね」がついたりすると、自分が社会に認められたかのように錯覚することができる。

なんの社会的な力もない普通の人にとっては、そうやって自分の意見が多くの人に注目される機会なんてまずない。自分の発言に有名人のツイートと同じくらいの「いいね」がつけば、実際は違うんだけど、有名人と同等になったような気分になれる。ツイッターやフェイスブックはそうやって錯覚させることで儲けているわけだ。

しかし、当たり前の話だけれど、ツイッターで多少の「いいね」がついたとしても、そんなものにはほとんど意味がない。ツイッターは1回の投稿で書き込める文字数が140字に制限されているけれど、140字で何かを言って注目を集めようとすると、どうしても断定的になったり情緒的になったりする。