論壇がものすごく劣化し、大衆化したものがSNS

本来なら「なぜそう考えるのか」という根拠を示さなければならないが、それをやっていたら140字にはとてもおさまらない。だからツイッターの言説っていうのはほとんど感性で成り立っていて、そんな短い文章を一生懸命書いてもどうしようもないんだよね。

それなりの知的レベルの人はある程度長くて筋の通った文章以外はゴミだと思っている。何かについて自分の考えを表明したいなら、「これはきっとこういうことじゃないか」と仮説を立てて、自分独自の結論を導き出すために情報を集めて根拠を探し、それを文章にまとめる。

ひと昔前までは論壇という言論文化があり、それを形成していたちょっと硬派な雑誌、オピニオン誌というのがあった。そこへ見識をもった評論家や学者、ジャーナリストがある程度長い文章を書き、それを見て意見を戦わせるわけだ。誰かが何かについて書くと、それに対して翌月の号で誰かがまた反論を書く。そのなかで「こいつは左っぽいけど筋が通っている」「こいつは右っぽいけどそれなりに筋がある」「こいつは言っていることが支離滅裂でアホだ」なんてことが自ずとわかるようになっていった。

今は雑誌自体が斜陽化しているので、オピニオン誌はほとんど潰れてしまっている。1980年代初めにニューアカ・ブームを生んだ『現代思想』がなんとか続いているけれど、もうああいう雑誌を読む人はほとんどいない。SNSに全部吸収されてしまった。論壇がものすごく劣化し、大衆化したものがSNSなんだと思う。

「いいね」をほしがる人とクレーマーはよく似ている

SNSで「いいね」をほしがる人とクレーマーはよく似ている。人間は誰しも承認願望があるけれど、それを満たすためにはやっぱりそれなりの人間になる必要がある。

親指を上げていいねサインをしている女性
写真=iStock.com/Farknot_Architect
※写真はイメージです

昔だったら、絵画サークルで絵がいちばんうまい人や、そこまでいかなくても先生に褒められるレベルになれば仲間に承認される。文章を書きたいなら文芸誌や小説誌の新人賞に応募する。入選すれば他人に承認され、自分自身もうれしい。直木賞とかのエンターテインメント系ならその道で食べていけるかもしれない。承認願望を満たすのと同時にお金を稼ぐことにつながっていく。

SNSに夢中な人の多くは、承認されるための努力をしない。努力はしないけれど承認されたい願望だけが強い。そのもっとも典型的なものがSNSなんだ。たしかにSNSでうまく稼いでいる人もいる。

でも、そういう人は自分の承認欲求をちょっと満たして喜ぶのではなく、やっぱりそれなりの知性があり、スキルを磨く努力をしている。説得力のある言説で人々の注目を集め、だからこそスポンサーを獲得することもできる。お客さんを集めてフォロワー数を万単位とかにするには、他人と同じことを書いていてはダメなんだよ。