数年間「自粛生活」を続ければ、社会は荒廃する
――読者に過度な希望を持たせるために書くわけではないことは断っておくが、新型コロナウイルスによる今般のパンデミックおよび社会的混乱は、ほどなくして「終焉」に向かうように思われる。
ただしそれは、根本的にSARS-CoV-2を無毒化するようなワクチンが開発され、グローバル規模で普及することを意味するのではない。ワクチンの完成および普及による「終息」では、たとえ順当に行ったとしてもおそらく今後数年はかかってしまうのではないだろうか。ワクチンを待っている間ずっと「自粛生活」をやっていたのでは、ワクチンが完成する頃には人間社会は経済的に荒廃しきっているはずだ。それでは元も子もない。そもそもWHOからはワクチンが将来的にも完成しない可能性も警告されている。RNAウイルスの変異性の高さから考えれば、そうした悲観的観測もまったくありえないわけではない。
パンデミック「終息」への道筋
だからこそ、人びとは別の方法論によってこの新型コロナウイルスのパンデミックを「終焉」させる道を選ぶことになる。私たちがおそらくこれより辿る「終焉までの旅路」の道程がどのようなものであるのかは、過去のパンデミックに鑑みるとそのヒントが得られる。
歴史学者によると、パンデミックの終わり方には2通りあるという。1つは医学的な終息で、罹患率と死亡率が大きく減少して終わる。もう1つは社会的な終息で、病気に対する恐怖心が薄れてきて終わる。
「『いつ終わるんだろう』と人々が言う場合、それは社会的な終息を指している」と、ジョンズ・ホプキンス大学の医学史学者、ジェレミー・グリーンは言う。
つまり、病気を抑え込むことによって終わりが訪れるのではなく、人々がパニック状態に疲れて、病気とともに生きるようになることによっても、パンデミックは終わるということだ。
ハーバード大学の歴史学者、アラン・ブラントは、新型コロナウイルスでも同様のことが起こっているという。「経済再開の議論を見る中で、いわゆる『終わり』は医学的なデータによって決まるのではなく、社会政治的なプロセスによって決まるのではないかと、多くの人が思っている」。
東洋経済オンライン『歴史が示唆する新型コロナの意外な「終わり方」』(2020年5月19日)より引用