感染予防を前提にマスクを扱うには、相応の訓練が必要
しかし、コロナウイルスは1万分の1ミリという極小サイズだ。よく知られるようになった「N95」といった特殊な規格のマスクでなければ、簡単にマスクの網目を通り抜けてしまう。マスクを着けていれば、飛び出すウイルスの量は少なくなるが、くしゃみや咳、大声での会話を続ければ、相当量のウイルスをばらまくことになる。
さらにウイルスを含む飛沫がマスクの内側に溜まっているのにもかかわらず、マスクを外すときにその内側を手でさわれば、その手に多量のウイルスが付着してしまう。マスクの外側にもウイルスが付着している可能性がある。
感染予防を前提にマスクを扱うには、相応の訓練が必要だ。隙間が生じないよう口と鼻を覆うように着けなければいけないし、内側と外側に手で触れないようにして外さなければいけない。日常生活の中でこの脱着を徹底するのはかなり難しい。
感染予防のためには、マスクよりも手洗いを心がけたほうがいい。必ずしもせっけんを使わなくてもいい。流水できちんと洗えば、手に付着したウイルスは流し落とせる。
工事や警備の人たちの生命を危険にさらしていいのか
一方、野外でのマスク着用は過剰反応だろう。野外であれば極小のウイルスは風で流されてしまう。4月の緊急事態宣言中には、神奈川県知事などが「海に来ないでほしい」と呼びかけていた。しかし海岸は陸風と海風が常に吹くから、感染が起きるリスクは極めて小さい。海に行く途中で、スーパーや飲食店に立ち寄ることのリスクもあったが、それならば「立ち寄りは避けて」と呼びかければよかった。結果として、海水浴やサーフィンに感染リスクがあるかのような誤解を広げることになってしまった。
ジョギングでもマスクをするべきだという指摘もある。ランナーが大きく息を吐くと、後ろを走るランナーに飛沫感染する危険があるというのだ。しかし、ランナーで混雑した場所ならともかく、そうでなければ感染リスクは極めて小さいと考えられる。いくらなんでも過剰反応だろう。感染症は新型コロナウイルスだけではない。「感染予防の徹底」を前提にすれば、たとえコロナ禍が収束しても、マスクなしでのジョギングは一切できなくなってしまう。
現在のマスクは、実際の感染予防というよりは、「マスクをしていないと不快に感じる人が多い」というマナーになっているのだと思う。マスクには着けているだけで安心できるような特別の魅力があるのだろう。感染症に対する備えの徹底という意味では望ましいが、効果の限界も理解すべきではないか。
たとえば野外での業務を余儀なくされる工事や警備の現場で、マスクを外すことができなければ熱中症のリスクが高まる。「通行人が不快に思う」という理由でマスクをして、生命を危険にさらすことがあってはいけない。過剰反応には注意が必要だろう。