92歳の老人にカリスマの看板を背負わせる学会
ただ創価学会とは世襲の教団ではない。初代会長・牧口常三郎、第2代会長・戸田城聖とも、それぞれの時代に自らの力で創価学会を発展させてきたカリスマであり、池田氏も第3代会長にはその実力で就いた。ただし4代以降の会長は、ことごとく「池田名誉会長」の下にあった存在で、露骨に傀儡視さえされてきた。その差は「宗教指導者としての会長は池田先生まで。それ以降の会長は、単に組織の代表者というに過ぎない」と、学会の幹部層に位置する人々が取材に対してあっけらかんと認めるほどだ。
なぜこのような“断絶”が生まれてしまったのか。一言で言えば、創価学会が“偉大な4代目”を生むことに失敗したからということに尽きよう。池田氏が達成した827万世帯の会員数(公称)を、日本国内でこれ以上増やすことは難しいという現実は厳然と存在し、またオウム真理教事件後に決定的に定着した、新宗教に対するマイナス・イメージの影響も大きい。かつ、それは創価学会に限ったことではなく、霊友会や生長の家、世界救世教など、日本の多くの新宗教団体が近年分裂騒動などを起こし、大きく規模を縮小させている事実もある。かくなる現実のなかで創価学会は今なお、公に生身を見せることもできない92歳の老人に、カリスマの看板を背負わせ続けているのだ。
これはポスト池田時代の準備か
無論、創価学会とてこのような状況を放置しているわけではない。2015年11月、学会は勤行要典(学会員が毎日唱えるお経の内容を定めた文書)を改訂。「三代会長」(牧口、戸田、池田氏)を「永遠の師匠」として、日々「報恩感謝」しようと定めた。16年11月には創価学会を組織ごと「創価学会仏」という“仏”だと位置づけたうえで、三代会長の敬称を正式に「先生」と決定。17年11月には新たに「会憲」を制定し、「『三代会長』は、(日蓮)大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現する使命を担って出現された広宣流布の永遠の師匠である」と定めた。創価学会が指導者をこのように“神格化”するのは今に始まったことではないが、このような矢継ぎ早の、かつ大がかりな流れは、「まるで池田先生がお亡くなりになっているかのようだ」といった印象を、一般会員にさえ与えるものだった。実際これらの学会の動きは、池田氏の徹底した神格化を通じた「ポスト池田」時代の準備ではないかというのが、多くの見方である。
創価学会は着々と、三代会長を神格化したシステムの上に組織を動かす体制に移行しつつある。つまり92歳の老人個人の肩から、カリスマの看板を下ろそうとしている。その準備が整いつつある安心感こそが、前述した「池田名誉会長がお亡くなりになったらすぐ公表する」という、ある種“自信満々”な物言いに表れ始めているのではないだろうか。