早慶戦があるから89年歌い継がれてきた

以来89年間にわたって「紺碧の空」は歌い継がれてきた。その理由は、もちろん歌詞と曲が歯切れよく、格調高く、歳月を経ても新鮮さが失われず、大人数で歌うのに適しているからだろう。

もう一つの要因として挙げたいのは、早慶の運動部、特に慶応の運動部の頑張りである。ある意味で、「紺碧の空」は早稲田ではなく、慶応の運動部が支えてきたとも言える。

「紺碧の空」が最も多くの人に歌われ、脚光を浴びるのは野球の早慶戦である。それ以外では各運動競技の早慶戦、リーグ戦、箱根駅伝などだ。

しかし、競技が弱くては応援に力が入らないし、観客も集まらない。もし早慶の野球部が全国最低レベルの力しかなければ、父兄や関係者でもない限り、あえて応援に行きたいとは思わないはずだ。わざわざ観戦に行って、情けない思いや悔しい思いをしたくないのは誰しも同じである。

スポーツ推薦がある早稲田に対し、慶応にはない

スポーツのチームは、洋の東西やプロ・アマチュアを問わず、勝てばファンが増えるし、負ければファンが減る(唯一の例外が野球の阪神タイガース)。筆者が長距離選手として所属した早稲田の競走部も昭和44~50年にかけて箱根駅伝の予選会で3回落ち、全日本インカレでも10位以下と低迷し、存在感を失って「紺碧の空」も歌ってもらえなかった。早稲田のスポーツがまがりなりにもトップレベルを維持できてこなければ、「紺碧の空」はなくなっていたかもしれない。

写真=筆者提供
箱根駅伝3区で、3年生の筆者が茅ヶ崎(神奈川県)付近を走る様子。沿道では「茅ヶ崎稲門会」が応援している

ただ早稲田はスポーツ推薦制度があるだけましである。人数は公表されていないが、年に80~90人程度のスポーツ推薦枠がある模様だ。これに対し、文武両道を貫く慶応は、スポーツ推薦枠がない(ただし過去、法学部政治学科に一部のスポーツ選手が下駄をはかせてもらって入学していたという話は聞く)。また早稲田はスポーツ科学部(旧教育学部教育学科体育学専修)という体育系の学部も持っている。現在、慶応ではAO入試枠で優れたスポーツ選手が一部入学しているものの、多くの運動部の選手は普通に受験して入学した一般学生だ。

箱根駅伝の解説で早稲田の渡辺康幸元駅伝監督が「彼は一般入試なんですよ」と選手を紹介したりすると、慶応の競走部OBたちは「普通、一般入試だろ」とつぶやく。またAO入試といえども、慶応の場合、そこそこの学業成績は必要で、例えば100mの山縣亮太選手もAO入試組だが、広島県の修道高校という進学校の出身だ。