医療従事者のパーソナルな努力で持ちこたえた医療現場

——カミュの『ペスト』には、医師リウーが「ペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」と語る場面が出てきます。「僕の場合には、つまり自分の職務を果たすことだと心得ています」と。私たちの社会が医療の現場を守り、コロナを乗り越えるのに一番必要なこととは何でしょうか。

医療を守るために必要なのは、医療資源は有限であるということをつねに念頭に置くことです。医療崩壊というのは患者数が医療機関のキャパシティーを超えるという数量的なことです。

今回はぎりぎり医療崩壊の寸前で食い止めましたけれど、これは医療従事者のパーソナルな献身的な努力によるものです。でも、そのような過労死寸前の働き方を彼らに恒常的に要求すべきではありません。

——コロナ後の世界で、超高齢化社会における限られた医療資源をどのように守っていったらよいのでしょうか。

4万部突破の話題作、内田樹『サル化する世界』(文藝春秋)

これまでは医療を商品とみなして、それを買えるだけの経済力を持つ人間だけが医療を受けられるという市場原理主義が最もフェアなソリューションだと人々は思ってきました。しかし、このやり方では感染症には対応できないことがアメリカでの大規模な感染拡大で分かりました。

アメリカには2750万人の無保険者がいます。彼らは発症しても適切な治療を受けることができずに重症化します。ふつうの疾病でしたら、「金がないで死ぬのは自己責任だ」で済まされるかもしれませんが、感染症ではそうはゆかない。

彼らが感染源となって、社会を脅かし続けるからです。感染症は全住民が等しく良質な医療を受けない限り対処できない疾病です。ここには市場原理主義が適用できない。

市場原理主義では感染症には対応できない

医療資源が有限である以上、どこかで「線引き」は必要ですが、古来、医療者は「患者の貧富や身分によって医療の内容を変えてはならない」というヒポクラテスの誓いを守ってきました。

今でもアメリカの医学部では卒業式にこの誓言を唱和しています。「線引きをしろ」と命じる現実と「線引きをしてはならない」という誓言の間には本質的な矛盾があります。医療者にとってこの葛藤に苦しむこともその職務の一部なのです。

その矛盾を今回は感染症が前景化した。われわれも、これからは医療者たちとともに、この葛藤に苦しむことになります。葛藤なんかしたくないから早く単一の解を決めてくれという人間には問題の深さがわかっていないということです。