日本の陰湿で同調的な市民による私刑
最も恐ろしいことは、こういった市民による自警団的行為が、法的根拠ではなく単なる「不道徳と感じること」を行った個人等に向けられ、お上から強制されたわけでもないのに市民が自発的に通報や制裁を行っている事実である。このような事態はハッキリ言って異常で、海外でもコロナ感染が蔓延する中、このような陰湿で同調的な市民による私刑の事例を、私は寡聞にして知らない。
このような日本人の“同調的で相互監視的で「お上」の意向にことさら弱く従順”という気質は、いったいどこからきているのだろうか。経済学者の野口悠紀雄氏は、その著書『戦後日本経済史』(連載原題・戦時体制いまだ終わらず)の中で、日本社会の翼賛的性質は戦時統制下で形成され、その体質が戦後になっても途絶えることなく継続されてきたことに遠因があると説いた。氏はこれを「1940年体制」と呼称した。
どうやってお上を気にしすぎる文化ができたのか
実際、現在日本社会の様々なシステムは、戦時統制下から一貫して変化がないものが多々ある。戦前、現在とは比較にならない数の新聞社があったが、戦時統制下で「全国紙・ブロック紙・地方紙」の3つに再編され、「一県一紙」体制が確立したことは事実である(――これに加えて新聞原料である紙の供給を軍が握ったことにより、軍批判が抑えられた)。
また原発事故後ようやく見直されつつあるが、戦前は百花繚乱していた電力会社も、「戦争遂行に必要な安定的な電力供給」の名のもとに現在に至る「電力9社」体制が完成した。それ以外にも、戦争遂行上重要な物資として認定された車両(タクシー)や製鉄、鉱業・石油関連業種も、強力な戦時統制によって再編され、その姿は戦後も部分的には変わらず存続している。
もっともこういった戦時統制は、日本の敗戦とともに瓦解する。日本型ファシズムに加担した財界人はGHQ命令で追放され、その間隙をついて後に日本経済の屋台骨となる電機・自動車産業等が花開くことになった。しかし、いったん追放された戦時統制の申し子は、いわゆる「逆コース」と高度成長の要請によって再び財閥から「グループ会社・企業」に名を変え、日本社会の前面に戻ってきた。