嫁の財布から金を抜く筆者さえ今は自粛している

そうは言ってもパチンカスにとってパチンコを控えることは容易ではない。私も今は行かない方が良いだろうと思いつつも常に頭の中はパチンコのことばかりで、家で自粛している現在もやりきれないツラい日々を過ごしている。「早く打ちたい! 打ちたくて仕方がない! 頭がおかしくなりそうだ!」と、こんな思いで胸が張り裂けそうになっている。正直、最近ちょっと手が震えてきている。あのハンドルを握る感覚が愛おしい。あのきらびやかな電飾と液晶画面が愛おしい。あの球が弾かれ、スタートチャッカーに入っていくさまが愛おしい。思えば私もよくここまで我慢していると思う。

思い返してみると、私は5歳の頃から親に連れられパチンコというものを知り、中学生、高校生とゲーセンに朝から並んでパチンコをひたすら打ちまくる学生生活を送っていた。大学受験を控えていても寸暇を惜しんでパチンコに行っていたし、大学の合格発表日の朝もパチンコ屋に並んでいた。大学生になると授業をサボってパチンコ屋に行き、一日中パチンコに明け暮れる日々を過ごしてきた。私の青春はパチンコそのものなのだ。

そして、社会人となった今はパチンコ業界で働いている。この「新型コロナウイルス騒動」以前は、会社帰りに毎日パチンコ屋に行き、閉店まで打ち続けていた。無論、休日も朝から晩までパチンコに明け暮れていた。同期の社員たちに頭を下げて100万円ほど借金をしているし、嫁の財布からお金を抜くほどパチンコに財産をつぎ込んでいた。もはや私にとってパチンコを打つということは呼吸するようなものである。ほぼ365日と言っていい程に毎日パチンコを打っていたのだ。仕事もプライベートもパチンコずくめ、生涯をパチンコに捧げていると言っても過言ではない。そしてこれからも生涯を捧げるつもりだ。

今のパチンコアプリは本物さながら

そんな最上位パチンカスである私ですら、今はパチンコ屋に行っていないのだ。これは私にとってはとんでもない事件だ。そりゃあツラいに決まっているのだ。

そんな私がパチンコを我慢するために家でしていることと言えば、パチンコ・パチスロのスマートフォン向け実機アプリを一日中ぶん回すことだ。当然、実際にパチンコ屋で打つのに比べたら臨場感も快感も劣る。だが、たかがアプリと侮るなかれ、今はリアルに再現されており、大当たりした時の気持ちよさは本物さながらである。これがなかなかどうして悪くない。