人魚や河童のミイラが作られていたワケ

さて、江戸時代はミイラを輸入したが、じつは日本からもミイラを輸出しているのである。しかもそのミイラは、人間ではなかった。人魚や河童、鬼、龍といった化け物や妖怪のミイラなのだ。

河合敦『禁断の江戸史~教科書には載らない江戸の事件簿~』(扶桑社)

もちろん、そんな妖怪のミイラが実在するはずもなく、本物ではなくつくり物だった。たとえば、人魚のミイラなどは、猿や猫の頭と鮭や鯉の尾をくっつけ、手をつくって精巧に作成されている。

ちなみに日本の人魚は、西洋のそれと違って首から下が魚なので、とてもグロテスク。しかも女性より男のほうが多いのが特徴だ。もともとは輸出品ではなく、両国などに林立していた見世物小屋に展示するために職人たちによって創作されたものだといわれる。妖怪のミイラをつくる職人集団がいたのだ。現在でも各地の寺社に少なからず保管されているのは、必要なくなったあと、さすがに廃棄するのには忍びなく、奉納したからだろう。旧家が所蔵しているのは、たぶん珍しいということで購入したのかもしれない。

そんなわけで輸出品ではないのだが、きっと、あまりに本物らしくつくられているので、外国人が面白いと思って、お土産に買っていったのだろう。とくに医師として来日したシーボルトなどは何体も購入しており、いまでもオランダのライデン国立民族学博物館には、日本から持ち込まれたミイラが保管されている。

マリー・アントワネットも愛用した日本の工芸品

このほか、日本の伝統工芸品である漆器も江戸時代に大量に輸出された。とくに螺鈿(らでん)の家具はヨーロッパ貴族にとても好評で、マリー・アントワネットも愛用していた。日本産の陶磁器(主に伊万里焼)も「イマリ」と呼ばれ、中国の陶磁器「チャイナ」に代わって大人気になり、世界中に愛された。オランダ東インド会社の特注を示す「VOC」のロゴが入った伊万里焼も数多くヨーロッパの博物館に現存している。陶磁器を輸出するさい品物を包んだ保護材は、浮世絵の反古紙が多かった。

これで浮世絵の素晴らしさに目を見張ったヨーロッパ人たちは、日本が開国すると、来日してお土産として購入し、それがマネやゴッホといった印象派の画家たちに絶大な影響を与えた。

いずれにせよ、鎖国していたとされる江戸時代にも、多くの珍しい品々が輸出入されていたのである。

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