11歳の誕生日「小学生のプロダンサー」が誕生した

アランゲトラムでは、8演目を踊りきる必要があった。当時カナメさんはそのうち3つをマスターしていた。オンラインレッスンでさらに2つを習得し、夏休みにインドで残り3つを追加して全てを仕上げるという、ハードなプログラムになった。

夏休み、カナメさんは毎日厳しい特訓を受け、母はアランゲトラムの準備に奔走した。公演会場の手配、招待状の作成と発送、衣装やヘアメイクの手配、撮影、会場設営、ケータリング、演奏家や司会者の手配など、「まるで結婚式の準備のようで大変だった」と母は思い出して笑う。インドの女性にとっても、アランゲトラムは一生に一度の大イベントで、親戚総出で準備を行うそうだ。

そして迎えたアランゲトラム当日。「師匠の都合で日取りが決まり、全くの偶然だった」というが、その日はカナメさんの11歳の誕生日だった。会場には、舞踏学校の先輩ダンサーたちや、デリー在住の日本人など、定員150人を超えて立ち見が出るほどの観客が詰めかけた。そして師匠の立ち会いと祝福のもとで、「小学生のプロダンサー」が誕生した。

写真提供=富安敦子
アランゲトラムの案内

師匠は「カナメはとても才能に恵まれている。日本だけでなく、世界中で活躍してほしい」と語る。また普段から「バラタナティヤムも、インドで、インド人だけで閉鎖的に活動していては、いずれ廃れるのではないか」と考え、海外での活動や、外国人であるカナメさんを弟子として受け入れるなど、権威でありながらオープンな対応をしているそうだ。

カナメさんもバラタナティヤムを通じて、師匠や先輩たちとの師弟関係や、神様や師匠や道具などに敬意を示す作法など、「礼に始まり礼に終わる」という姿勢が身についたという。一見、異文化を強く感じるインド古典舞踊だが、日本の武道や芸道に通じるものもありそうだ。

日本国内のインドフェスで引く手あまた

デビュー後のカナメさんは、全国各地で開かれるインドフェスやイベントなどのステージに立った。自分でエントリーするものもあれば、招待されるものもあり、その半分ほどから出演料や交通費などが出た。

お馴染みのイベントもできた。毎年10月、「群馬県民の日」に行われる、光恩寺奉納舞のステージに立つのは2度目だ。祖父母世代のファンからは「カナメちゃん!」「大きくなったね!」と歓声が飛ぶ。また「ブログを読んで興味を持って見に来ました」という同世代の少女にも出会った。

2019年に立ったステージは20を超えた。そして今後も毎年、夏休みはインドで研鑽を積んでいく。

小学校も楽しいそうだ。母は、帰国子女となるカナメさんが、日本の学校に馴染めるか心配したというが、杞憂だった。クラスには外国ルーツの生徒もいて、「多様性を認める」という雰囲気が自然にあったという。インド帰りのカナメさんもすぐに溶け込むことができた。

「これからもバラタナティヤムを通じて、インド文化をもっと伝えていきたいです」と語るカナメさん。母と父はそれを支えつつ「何の道を選んだとしても、自立した人間になれるよう、学校の勉強もしっかりやっていろんなことを吸収してほしい」と見守る。

5年後、10年後、カナメさんはどんな活躍をしているのだろうか。成長を追いかけたくなるプロダンサーだ。

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