隠された蛮行、覆る「軍事テクノクラート」像
しかし、より重要なのは、グデーリアンは、軍人は政治に関わらずという姿勢をくずさぬ、一種の軍事テクノクラートであったとの主張がくつがえされたことだろう。
グデーリアンが、第一次大戦に敗れたのち、「鉄師団」の参謀を務めたことは、1970年代から知られていた。これは、陸海軍の将校や国粋主義的政治家によって募兵され、元下士官兵を中心に編成された私兵集団「義勇軍」の一つである。
「義勇軍」は、敗戦前後にドイツが占領していた地域(ロシア、あるいは講和条約後にバルト三国やポーランドとなる領域)からの撤退を拒否し、白軍とともに赤軍に抗して戦闘を継続、捕虜殺害や住民虐殺など、さまざまな残虐行為を犯していた。
当然、「鉄師団」の参謀だったグデーリアンも、かかる蛮行を見聞していたはずだ。しかし、彼はこの時期のことを『電撃戦』に記していない。
こうした過去、あるいは、プロイセンの名望家の一族に生まれたという出自からすれば、グデーリアンが抱いていた過激な国粋主義は、本来、もっと早くに暴露されてしかるべきだったろうが、先に述べたような賛美の論調から、そうした指摘もないがしろにされがちであった。
ヒトラーに共鳴した“国粋主義者”
さりながら、20世紀の末ごろより、グデーリアンの政治的志向の解明は、著しく進んだ。
グデーリアンは、上層中産階級の人間であることから来る封建的階級認識ゆえに、大衆運動としての側面を持つナチズムとは完全に一致し得なかったにせよ、ヒトラーに共鳴する国粋主義者だったのである。
第一次世界大戦直後、義勇軍に従軍していたころから、ナチ時代、さらには戦後を通じて、彼の政治・歴史観は一貫していた。それは、1948年に捕虜の境遇から解放されてから、1954年に南独シュヴァンガウで没するまでに、グデーリアンが発表した諸論考にあきらかである。
そのような議論は、冷戦という時代背景があるとはいえ、強烈な反共主義にみちみちており、彼本来の政治思想をうかがわせるものだった。さらに、今日では、グデーリアンが1950年代に、元ナチスの政治運動に加盟していたことも証明されている。
「グデーリアンがつくりあげた『仮面』は剥がされた」
このように、今日の歴史学界におけるグデーリアン像は、かつての非政治的な軍事の「職人」といった評価から、作戦・戦術次元の指揮官としては卓越しているが、政治的には素朴な国粋主義者であり、問題を抱えた人物であるとの理解に変わっているとみてよい。
軍事面においても、グデーリアンがドイツ装甲部隊の創設に果たした役割は、もちろん全否定こそされていないものの、割引きされる部分が少なくないのだ。
グデーリアンがつくりあげた「仮面」は剥がされたのである。