毎日新聞「桜を見る会」取材班による『汚れた桜「桜を見る会」疑惑に迫った49日』(毎日新聞出版)はこう書いている。

「まるで『脱法内閣』じゃないか。(中略)安倍晋三首相は政府の公的行事である桜を見る会を私物化し、多くの後援会関係者を接待していた。同じことを首相がポケットマネーでやれば、公職選挙法に抵触する可能性が高い。しかし、内閣府や内閣官房を通し、私たちの税金で接待した場合はどうなるのか。今のところ捜査当局が動く気配はない。公選法も、まさか時の首相が税金を使って数百人にのぼる自身の後援会関係者をもてなす、などということは想定していなかったのだろう。これは『脱法行為』にちかいのではないか」

近いのではなく、間違いなく脱法行為であり、国家の私物化である。

「幅広く募ったが、募集ではない」とは……

縷々るる書いてきたことは、安倍政権のやってきた私物化のごく一部である。だが、これだけ並べただけでも、この政権が日本をぶっ壊し続けてきたかがわかるだろう。

安倍の出身校である成蹊大学の教授は、「安倍は2つのムチで表現できる」といっていた。「無知と無恥」。国家を私して恥じない事例をいくつか紹介した。では、「安倍語」といわれる無知のほうを見てみよう。

ネットには「安倍語録」というサイトが山ほどある。

読み間違いは「改善(改ざん)」「云々(でんでん)」。これはご愛敬だろう。

「私は立法府の長」「税金は国民から吸い上げたもの」「私が国家だ」は単なるいい間違いではなく、ホンネがポロッと出たのだろう。

対談集で語っていた「現憲法の前文は何回読んでも、敗戦国としての連合国に対する詫び証文でしかない」というのは、戦後の総決算と同様、戦前回帰志向からの発想だろう。

「共謀罪」を巡って野党から質問されたとき、安倍首相は「『そもそも』って『基本的』って意味でしょ。念のため辞書で調べました」と答弁したが、辞書にそんな意味はないと新聞で報じられると、あきれたことに、安倍は辞書で調べたなんていっていないとキレて、政府は「そもそも」に「基本的に」という意味があるとする答弁書を閣議決定までしたのである。

「桜を見る会」疑惑で、安倍の地元事務所名で観光ツアーへの参加を募る文書が後援者に送られていたと質問されると、「幅広く募っているという認識だった。募集しているという認識ではなかった」と説明したのである。

募ったが募集ではない。何か悪いものでも食べたのではないかと疑いたくなる、国会史に残る迷言である。