多くの教師は実は自分のことしか見ていなかった
このKPIを、多くの教師は自分の頑張りに置いてしまいがちです。最終的な目標が「子どもの学力アップ」だとしたら、本来なら「授業の理解度」や「勉強時間」「課題をこなした数」「子どもの興味度」などにKPIを設定すべきでしょう。
しかし、「授業をどれだけ面白くできたか」とか、「プリントをどれだけ用意できたか」など、子どもが学ぶために自分が何をしたかを重要視してしまう教師は少なくありません。
そのような場合、何が起こるかと言うと、例えば、子どもが座っていられない状態になったとき、「自分の話がつまらないから」と考えるのではなく、「自分はこんなに頑張っているのだから、座っていられないのは子どもが悪い」と考えてしまうのです。
そのような教師は、子どものためにと口では言いながら、本当は、子どものために頑張っている自分しか見ていないのでしょう。
勉強するのは自分ではなく子どもたち
でも、実はボクも、かつては主語を子どもではなく自分にして、勉強を教えていた時期がありました。
教師になる前に塾の講師をしていたころ、自分が面白いことをしゃべって子どもを楽しませれば、きっと授業を聞いてくれるはずだと思い込んで、自分が面白くなることばかりを考えていました。
それで、多くの生徒は成績が上がったのですが、一方で変わらない生徒もいたのです。多くの生徒の成績は上がったので、周囲の人は褒めてくれることもあったのですが、自分の中では成績が上がらなかった子、取りこぼしてしまったと感じる子のことがどうしても気になって、自分の教え方は何かが違うと常に思っていました。そして、ふと気づいたのが、勉強をするのは自分ではない、子どもたちなんだという、すごく当たり前のことでした。
自分はバカだっていい。実際、当時のボクは英語の授業なども持っていたのですが、高校生に細かい文法などを教えられるほどのスキルは決して持っていなかったと思っています。でも、そんなボクでも、子どもたちが勉強する場をつくり、子どもたちが自ら勉強してくれるようになったら、教師としての役割は十分こなせると考えたのです。