今の時代が当たり前と思うのがまともな経営者

日本も中国も、かつてイギリスやアメリカも経験した急激な成長は、低い起点と高い終点を2時点に取って比較しているための評価です。では、日本がもう一度高度経済成長するために、最もありうる手段は何か? 極論すれば、もう一度戦争をすることです。

しかも日本国内の実質的な富が大きく破壊されるような戦争を経験することです。日本が備えている基礎的な条件を考えると、そのあとは間違いなく高度経済成長する。しかし、誰がそれを望むでしょうか。

急激な成長というのは、人間でいえば青春期みたいなものです。訪れる年齢は異なるかもしれませんが、どんな人の一生にも5年、長くても10年、やってくる時代です。その時代が異常なのであって、日本経済でいえば、そうではない今が通常です。バブルから現在を見れば停滞でも、今が真っ当で正しい時代だと考えれば、まともな経営者には「閉塞感だの、右肩下がりだの」と嘆いている暇はないはずです。

「日本企業」という主語はもうやめよう

面白いのは、「日本企業」と国の名前を冠して、ある種の経営モデルみたいなものを議論しているのは、世界中で日本だけだということです。外国人には、非常に奇異に思えるようです。BMWやシーメンスは、ドイツ国籍の企業ですが、「ドイツ企業」ではありません。それぞれに異なった固有の経営をしています。ドイツ的な雇用慣行や法規制はあるけれども、「ドイツ企業」や「ドイツ企業的経営」という概念は存在しないのです。

皆が大きな帆を掲げて同じ方向へ進んでいる高度成長期には、「日本的な経営」という何らかの共通点があったかもしれません。しかし、今はみんなバラバラです。新日鉄もメルカリも日本の企業なのに、「日本的経営だ」と一括りに論じても意味がありません。「日本企業」「日本的経営」「日本企業の競争力」といった主語の使い方や問題の立て方は、もうやめるべきです。

今の日本では、個々の経営力が問われています。現に、失われた20年や30年などとひと口に括る時期からでも、伸びている会社や稼ぐ会社は出てきています。独自性をもって、日本はもとより世界に対しても価値を発揮できている会社が、たくさんあるのです。

社会的な発言力のある層や経営を担っている層は、いまだ「高度成長期体質」なのかもしれません。統計資料を見れば成熟期に入って久しいことがわかるのに、切り替えができない。高度成長期を経営者として肌で経験してはいないくせに、何か申し送られているのか、それとも身体に染みついてしまっているのでしょうか。