「人の気持ちをわかれ」と言う人の押し付けがましさ

「人の気持ちをわかる人間になれ」というのを、「人の気持ちの中身を理解しなさい」と誤解している人が多すぎる。人の気持ちのわかる人間とは、人はそれぞれ、異なる考え方や感じ方をするものだと理解しましょうねという意味である。

僕に言わせれば、「人の気持ちをわかるようになれ」は、ただの処世術にすぎない。世の中をうまく渡っていくためには、平均的な考え方、感じ方に合わせて態度を決めていくほうが楽だし、早い。

多くの場合、それでいい。だが、どんな人生であれ、どうしても譲れないときが必ずある。そういうとき、自分の考えていることや思っていること、感じたことが平均的なそれらと乖離かいりしているとわかっていながら、自分を貫くのか、どうか。それだけのことなのである。

「そんなことはない。人の気持ちはわかる。その人の立場になってシミュレーションすればいい」などと言う人がいる。それは想像の産物で、その人の気持ちではない。言い方を換えれば、「こういう気持ちであってほしい」という願望が変質したものだ。

僕はときどきこんな悪い質問で反撃する。「通り魔や連続無差別殺人犯の気持ちがわかりますか?」

「わからないに決まっている」と答える人が多いのではないか。つまり、人の気持ちがわからないといって非難する人たちは、自分たちと同じような気持ち、あるいはこういう気持ちであってほしいと押し付けているにすぎない。同じ考えをする仲間が欲しいだけなのだ。

連続無差別殺人犯の気持ちがわからないのは、そんな奴らを仲間にしたくないという意思の表れにすぎない。もしかしたら連続無差別殺人犯の気持ちだってわかるかもしれないではないか。

お互いわからないまま受け入れていくのが美しい世界だ

もし、この文章を読んでいる方のなかに、人の気持ちがわからないと言われた人がいても、「僕は欠陥のある人間なのか……」「私、やっぱおかしいのかな」などと悩まないでほしい。他人の気持ちなど誰にもわからない。想像して、わかっている気分になっているのだ。同じように物事をとらえている仲間が欲しいだけ。

フミコフミオ『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。』(KADOKAWA)

程度の差こそあれ、誰でもひとりでいることは不安なので、仲間を求めようとする行為を僕は否定しない。そういう気持ちはわからないし、賛同はしないけれど、受け入れてはいる。

人の気持ちがわからないと嘆いているあなたには、わからないまま受け入れるような人間になってもらいたい。世の中にはたくさんの人がいて、それぞれがまったく異なる考え方や思い方をしている。

そしてまったく異なる人たちが、それぞれわからないままお互いを受け入れていくような世の中が本当の美しい世界だと僕は思う。正しいとか間違っているとかではなく、違いを違いのまま認めること。人の気持ちがわかるとは、そういうことだと僕は考えている。

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