「日本人には個性がない」

この『極東の魂』のなかで、ローウェルは、「日本人の特徴は、個性がないことだ」と何度も何度も強調しています。「個性がない」というのは、原語では“impersonal”です。邦訳では「没個性」と訳されています。

ローウェルの意見によれば、「人間は進化するにしたがって個性的になっていく」のですが、日本人は、その進化が途中で止まっているというのです。ここには、イギリスの哲学者ハーバート・スペンサーの影響が見てとれます。ローウェルが日本を訪れた時期、アメリカでは、スペンサーの社会進化論が最盛期を迎えていました。社会進化論は、人間の社会が、集団主義的な「軍事型社会」から、個人主義的な「産業型社会」へと「進化する」と主張していました。

ローウェルは、「民族は、西から東へといくにしたがって、アメリカ、ヨーロッパ、中近東、インド、日本の順で、次第に没個性的になっていく」と記しています。「アメリカ人がいちばん個性的で、日本人がいちばん没個性的」というわけです。「フランスはヨーロッパの中で最も没個性的国家である」(邦訳85頁)などと書いているところからみると、ローウェルは、いわば「アメリカ・ファースト思想」の持ち主だったようです。

この「西から東へと」というところは、ドイツの哲学者ヘーゲルの『歴史哲学(※2)』を思い起こさせます。ヘーゲルは、「東から西へといくにしたがって、自由の精神が発達していく」と説きました。「自由」を「個性」に置きかえれば、そっくり同じ議論になります。ローウェルは、ハーバード大学を出ていますから、そこでヘーゲルの思想に触れていたのかもしれません。

「没個性」論の根拠

では、何を根拠に、ローウェルは「日本人には個性がない」と断じたのでしょうか? じつは、根拠はまことに薄弱で、ごく表面的な観察でしかなかったのです。たとえば、「日本語では人称代名詞が欠落している」(邦訳79頁)とか、「年齢を数えるとき、個人の誕生日から数えるのではなく、一律に元日から数える」とかいった観察です。

ローウェルが『極東の魂』を書いたのは、はじめて日本を訪れてから、滞在期間が合わせて1年ほどにしかならない時期でした。ローウェルは、日本に来てから日本語を学び始めましたから、日本語の学習期間も1年ほどでしかなかったことになります(※3)

たとえば、ラオスの言語であるラオ語を知らない日本人が、はじめてラオスに行って1年たったときのことを想像してみてください。ラオス人ひとりひとりの個性をはっきり認識することができるでしょうか?

人の個性は、主に言葉をつうじて感得かんとくされます。どんな場面で、何を言われたとき、どういう言葉を返すのか――そういうところに人柄がよく表れるからです。言葉がよくわからなければ、個性を感得することも、個性の違いを見分けることも困難です。日本語を学びはじめて1年にしかならなかったローウェルには、そもそも、日本人の個性を認識することは難しかったはずなのです。