最近あった、ある大学でのエピソードです。ある日のゼミで、教授が学生たちに、簡単には答えの出ない、少し考え込んでしまうような問いかけをしました。すると学生たちは、考えるのではなく、口々に「先生、ヒント!」「答えは?」「教えて!」と無邪気に尋ねたそうです。
いまの学生たちは、自分で考えるということをあまり楽しめず、すぐに答えを求めて白黒はっきりさせたがる傾向にあります。それというのも、インターネットの便利さに慣れきっているからです。「ググれば答えがすぐに出てくるから、考える必要はない」と思っているのです。
子供の好奇心を邪険に扱わない
それは、日本の教育にも問題があります。欧米では幼いころから、自分で考えることを習慣づけさせます。幼稚園では毎日、園児たちは「今日は何をしたいか」を尋ねられ、自分でその日にすることを決めなければなりません。一方、日本の幼稚園では、毎日みんなで同じことをします。
家庭でも、「勉強をしなさい!」だの「早く支度をしなさい!」だの、大人が子供にやるべきことを指示してしまうため、子供が持っている子供なりの考えが潰されてしまうのです。
また子供は、知的好奇心から「空はなぜ青いの?」「どうして勉強しなければいけないの?」などと、自分が知らないことを親や大人に聞いてきます。その際、大人がすぐに答えられるかどうかは微妙なところ。自分が知らなかったり、忙しくて答えるのが面倒くさかったりすると、「そんなことはどうでもいいでしょ」と突き放してしまうこともあるでしょう。あるいは、「子供の質問にはなんとしても答えてやらねば!」と、張り切って自分で調べた答えを教えたり、自分の考えを絶対的な正解のように言ったりしてしまう。
子供に対して、やるべきことを指示したり、質問に対して突き放したり、答えを教えてしまったりといった態度は、子供が自分で答えを見つける機会を永久に奪ってしまいます。
こういうとき、どうすべきでしょうか?
大人が答えを教えてあげる必要はありません。それよりも、子供の好奇心を邪険に扱わず、かつ邪魔をしないようにするには、「問いかける」ことが大事なのです。人は問いかけられれば、答えを考えようとします。「○○しなさい!」と命令されても考えませんが、「どうしたらいいと思う?」と聞かれたら、「どうしたらいいだろう?」と考えるものです。