―― 2004年の監督就任時には「4年後に箱根で優勝争いができるチームに育てる」と宣言した。08年、09年の2年連続の総合2位は、有言実行を果たすとともに名門復活を印象づけた。しかし前回の10年は、優勝を期待されながらも総合7位。

一気に落ち込んだチーム状況から、三冠達成という高いハードルを掲げてチームづくりはスタートを切った。

早稲田大学競走部 駅伝監督 渡辺康幸●1973年、千葉県生まれ。市立船橋高校を経て早稲田大学入学。1年時からエースとして箱根駅伝等で活躍。数々の学生記録を塗り替え「天才ランナー」と呼ばれる。ヱスビー食品入社後は故障に悩まされ、アトランタ五輪1万mの代表に選ばれるも激痛のため出場を断念。その後アキレス腱痛に泣かされ、29歳の若さで現役を引退。2004年より現職。著書に『自ら育つ力』。

前回は優勝を狙いにいって7位ですから大惨敗でした。当時の4年生が強かったので、放っておいても走ってくれるだろうという油断もありました。2年連続で優勝争いにからんだという僕自身の驕りです。

大学駅伝はアマチュア・スポーツですが、実質的にプロと変わらない面もあります。プロなら結果が出せない監督はすぐ更迭です。周囲から「渡辺じゃ箱根は優勝できない」という声も聞こえてきました。試合で結果を出せないと風当たりが強くなるのは当然です。

この7年で最もつらかった初めの2年間も、試合成績の低迷が続いたこと、部の古いしきたりを改めたことなどで厳しい批判を受けました。しかしそこで気持ちが折れてしまっては負けです。そんな批判も表面上はうまく受け流し、内心では根にもって「絶対に見返してやる!」と反骨精神を奮い立たせるのが僕の取り柄です。逆境をバネにできるところは、現役時代のままです。

昨年3月には、「三冠を取るぞ」「絶対にやるよ」と部員たちに宣言しました。ライバル校に負けない戦力はあるので、自分と部員の意識が高まれば、不可能な目標ではないと考えていました。逆に、新しい目標を設定しなければ、落ち込んだムードのまま、次はシード権外になりかねない状況でした。