笑えるエピソードを整理して、「泣ける話」にまとめた

――『若ゲのいたり』は泣ける話が多く、とても読み応えがありました。とてもパロディ漫画家の仕事とは思えません。

今回は取材で集めたエピソードのどれを主軸にするかを毎回はっきりさせることを意識しました。たとえばロボットバトルゲームの金字塔『バーチャロン』を作った亙重郎さんの回(第9話)は、実はもっと笑えるエピソードがいっぱいあったんです。でも、それを描いてしまうとちらかってしまう。

だからマンガでは、亙さんの「ロボットを主役にしたゲームを作りたい」という思いに、「ロボットが主役のゲームは絶対ヒットしない」と常務がかたくなに反対するという対立関係にフォーカスしました。笑えるエピソードを整理して、「泣ける話」としてまとめています。そういうまとめ方は、最近身につけた技術ですね。

――ギャグマンガの使命が「セオリーを破ること」だとすれば、田中さんの最近の仕事では「セオリーを踏襲すること」を磨きあげているわけですね。

今まで「セオリーを破ること」だけをやりすぎた反動ですね。変化球を思いついては投げるんだけれど、とんでもない空振りを取れたり、とんでもない暴投をしちゃったりということで不安定極まりない。そして、必ずしも読者はそれを望んでいるわけではないということがわかってきました。

マンガ家の田中圭一さん(撮影=プレジデントオンライン編集部)

なぜ手塚治虫先生の絵柄をパロディ対象に選んだか

――セオリー通りに書いた『うつヌケ』が大ヒットするまで、田中さんはギャグマンガ家一本の期間が長かったわけですが、その「ための期間」についてはどう振り返っていますか。

田中圭一『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』(KADOKAWA)

うつヌケ』を読んでもらえればわかるとおり、僕には10年間という「うつ」の期間があったわけです。そこを脱出したときに、気持ちも頭もすごくスッキリして、かなり冷静に「真面目なマンガを描く」ということに取り組めたんです。

ギャグマンガ家一本だったときには「ウケなきゃいけない」という思いがすごくあって、人がやらないようなとんでもないことをしなければ、と思っていました。だからこそ手塚治虫先生の絵柄をパロディにするという「絶対やっちゃいけないこと」をやっていたんです。

――「恐れ多くて誰もやらないだろう」ということですね。

そう。それは記録を出し続けないといけないアスリートがドーピングに手を出すのと同じで、心も体もボロボロになるんですよね。それが幸いにも、うつを抜け出したところで、「この演出は過剰すぎる」とか「ここは切り取ったらまずいよな」とか考えながら物を作れるようになりました。