「落ちこぼれ」の子は理解力が低いのか
考えてみれば当然のことです。みんなで同じことを、同じペースで勉強していれば、一度つまずくと、そのまま取り残されるということがどうしても起こってしまいます。内容が理解できないまま、授業はどんどん進んでいきます。結果、その子は「落ちこぼれ」のレッテルを貼られてしまうことになるかもしれません。
でもそれは、本当にその子の理解力がもともと低いから起こったことなのでしょうか?
たまたま、ある大事な授業の日に体調が悪かっただけかもしれません。あるいはお休みしてしまっただけかもしれません。たまたま、その年に嫌いな先生に当たってしまったのかもしれません。あるいは先生の教え方が合わなかったのかもしれません。
でも、「みんなで同じことを、同じペースで」が学校のシステムである以上、先生は、ついていけない子がいたとしても、どんどんと先に進んでいくほかありません。一斉授業・画一カリキュラムが中心の学校では、どのクラスを覗いても、ほとんどの場合において、授業についていけずに辛そうな顔やつまらなそうな顔をしている子どもたちが一定数いるものです。
一度「自分は落ちこぼれなんだ」と感じてしまった子どもが、学びへの自信、もっと言えば自分自身への信頼を回復していくのは並大抵のことではありません。これは、システムが生み出したある意味で“罪”とさえ言えるのではないかとわたしは思います。
学校の授業を「ムダ」に感じる子どもたち
「落ちこぼれ」の反対が、これまた嫌な言葉ですが、「吹きこぼれ」と呼ばれるものです。すでに分かっていることを、何度も繰り返し勉強させられることで、勉強がイヤになってしまう子どもたちのことです。一斉授業、画一カリキュラムが中心の教室には、授業についていけずにつらそうな顔をしている子どもと同じくらい、すでに分かっていてつまらなそうにしている子どもたちが一定数いるものです。
「みんなで同じことを、同じペースで」やらなければならない授業においては、先生は、そんな子どもたちが勝手に先へ先へと進んでいくことを許すわけにはいきません。だから多くの先生は、不本意ではあっても、その子たちに学びのペースを落とすよう強いなければならないのです。
これでは、学校が楽しくなくなってしまうのも無理はありません。「吹きこぼれ」の子どもたちからすれば、このような学校の授業はムダだらけです。今日の「めあて」をみんなで一斉に唱和するのに始まって、教科書の決められたページをみんなで繰り返し読んだり、すでに分かっていることを一方的に教えられたり。45分もの間、なぜみんなと同じことをやり続けなければならないのか。そう思っている子どもたちはたくさんいます。
「落ちこぼれ」の子どもたちにとっては、それはもっとムダな時間と言えるかもしれません。周囲のクラスメイトが先生の発問に対して活発に発言をしているその傍で、何のことか意味も分からず、じっと時間が過ぎるのを耐えている……。こうした状況は、やはり抜本的に変えなければなりません。