この人事は社内外で話題になった。それは2人の経歴の異色さだ。荻田は、アサヒ出身とはいえ、グループ会社のアサヒ飲料社長から、泉谷は管理畑からの転身だった。この人事にこそ、アサヒの危機感が滲み出ている。いわば“部外者”の新しい発想で新商品開発、営業体制を構築し直すしかないということだ。
「荻田社長から『おまえ、営業に行ってもらうよ』という話がありました。なぜ現場の営業経験が1年半ぐらいしかない私を使うのかと考えたとき、やっぱり従来のやり方を見直さなければいけない。消費者に買ってもらえる商品をつくらない限り、開発がだめだ、営業が悪いと騒いでも、何も解決しない。トータルな改革が必要だったのです」
3年前の出来事と心境を、泉谷はこう振り返る。
では、何をどう変える必要性があったのか。荻田と泉谷が話し合い、まず二人三脚で取り組んだのが、全国の現場に出向いて、管理職クラスの声に耳を傾けることだった。後に“聞き回る経営”と呼ばれたが、それで切実に感じたのは「スーパードライ」以外、戦える実弾(商品)がないという営業の悲痛な叫びだった。
泉谷はこう語る。
「当時でも『スーパードライ』は売れていました。けれども、販売本数そのものは00年をピークに減り続けていたんです。そうなれば、なすべきことは自明の理。消費者ニーズが拡大している市場で、他社に負けない商品開発の体制づくりにほかなりません。ただし、改革の目途は2年だと思いました」
泉谷は奇手を打つ。4月に「10年後のアサヒビール最悪のシナリオ」と題するシミュレーションを本社の部長クラスたちに示したのである。消費税率のアップやWHO(世界保健機関)のアルコール規制強化による消費の冷え込み、低価格志向で消費者がビールから発泡酒、第三のビールへ乗り換えることによる収益構造の変化を想定し、それによって「アサヒの営業利益902億円がすべて吹っ飛ぶ」という悲観的なものだ。
「第1四半期とはいえ、シェア逆転がはっきりしても、厳しい実情を真綿に包んでいる雰囲気がありましたからね。でも『何とかしろ!』と怒鳴ってもモチベーションは上がらない。それなら厳しい仮説を見せることで、危機感を高めようと思いました」(泉谷)
荻田も就任後にこう口にしている。
「ここ数年、もしかすると私たちは『スーパードライ』が売れていることに安住する気持ちがあって、新しい発想が出てこなかったのかもしれません。一つのヒットで安心するのではなく、常に『不満足だ』と考えることが大事です」(文中敬称略)