法務留学開いた人事調書の一文

「縁尋機妙、多逢勝因(えんじんきみょうたほうしょう)」――8世紀ごろ日本へ伝来した地蔵本願経に、こんな言葉がある。縁は縁を呼び、それは言うに言われぬ不思議なものだ。その縁を生む多くの出会いこそが、物事をいい結果に導いていく。そんな意味だが、自分は本当に「縁尋機妙」に恵まれてきた。

1944年12月、長野県上田市で生まれた。兄2人、姉2人の末っ子。南に千曲川、東に浅間連山がある町で、豊かな自然に包まれ、小学校4年までを過ごす。父の転勤で関西へ移り、京都で中高一貫校から京大法学部へと進んだ。

68年4月に入行、大阪の高麗橋支店に配属され、次に本店調査部へ移る。そのころ、住銀は首都での営業に力を入れる「東上作戦」と並行して、国際化戦略を進めていた。それを横目に、大学時代に授業で読んだ本を思い出す。米国の商法に関する『統一商事法典』。米国は、知られたように契約社会だが、ビジネスの契約には州ごとの商法があり、全く不便だった。そのため、20世紀半ばにできたのが『統一商事法典』だ。それを知って、「ああ、そういう国だったのか」と頭に刻まれる。国際法務との出会いだった。

調査部で1年目の暮れ、人事調書の希望欄に「これからは、国際法務が大事。国際法務に強いスタッフを育成すべきだ」と書く。別に、自分がやりたいということではない。でも、翌年秋、東京の調査部へ異動すると、留学の辞令が出る。東京の総務部長が、高麗橋時代の支店長だった。部長も「誰かをロースクールに送りたい」と考えていた。それが、人事調書に記した一文と重なる。不思議な縁で、法務留学の第一号に選ばれた。73年5月、生まれて初めて乗った飛行機で米国へ飛び、ミシガン・ロースクールで2年間学ぶ。

2005年6月、頭取に就任。以来、「やりすぎは、いけない。大事なのは自制心。『ほど』をわきまえることだ」と繰り返している。もちろん、徹底すべきときは、とにかく考え抜き、やり抜くことだ。安宅の処理やゴッダルト銀行買収でも、様々な文書の一字一句までを読み切っていなければ、穴に落ちていたかもしれない。詰めなければいけないことは、最後まで詰め切る。でも、欲をかきすぎても、いけない。やはり「ほど」が大切だ。

昨年9月、大和証券グループとつくっていた投資銀行の合弁事業解消を決めた。他の証券戦略との兼ね合いで、意見の対立がほどけない。大和との縁は、大事にしてきた。だから、残念だ。その後、銀行の本店のエレベーターで、偶然、例の先輩と一緒になり、「大変だね、どうするの?」と聞かれた。このときも、即座に言葉が出た。「投資銀行業務はやりたい。強引に、大和にTOB(株式の公開買い付け)をかける道もある。でも、それはね」。やりすぎを自戒する。その後、かつての流行歌の歌詞を口ずさみながら「別れても好きな人、になればいいんだけどな」と続けた。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)