根底にあるのは「私は一人」という意識

春日「入院中の郵便物、戸締まりなどはどうされましたか?」
Yさん「家主さんにも入院するという連絡を入れて入院しました。それで、鍵を預けている人のことも家主さんには伝えて。郵便物や、植木に水やりをするためにお願いしたんです。まずはその方に、はじめに御礼を渡しておいて、お願いしました」

「へえ、そこまで手配して入院されたんですか」と私が感心すると、Yさんは、「私は一人ですから」と答えた。

この「私は一人ですから」というのは、Yさんの話を聞く中で、何度も出てきた言葉である。さらに、入院するに当たってそれだけの準備をしているYさんであるから、受診の際に必要な日頃の健康管理、危機対応についての備えも、半ば生活習慣化した形で行っていた。「血圧と体重、脈は毎日測定」し、「お薬手帳や健康保険証、介護保険証はバッグに入れて持ち運びできるように、パッと出せるようまとめています。それと入院グッズもバッグに入れて揃えてます」とのことであった。

家族のいる人は互いへの「依存心」が強すぎる

ところで、生涯シングルで生き、こうした形で「若い頃から」、一人で「老い支度」「死に支度」を「身じまい」の営みとして行ってきたXさん、Yさんからは、結婚し家族を作った同世代の女性たちの、夫亡き後の生き方はどう見えるのだろうか。

Xさん「ご主人を亡くした後、子どもと同居している人で、子どもの世話にはなれない、自分のことは自分でしなければという考えを持っていて、世話になるのはつらいと言う人でも、自分で施設を探したりする気は全くないし、探す知恵も持っていませんよね。自分はこうしたいという、老後についての考え自体がない。だから、自分が足が弱ったり、自炊ができなくなればどうなるかと、悶々として暮らすことになる人が多いですね」

Yさん「私みたいにね、ズーーッと独りで生きてきた者と、ご主人を亡くして一人になられた方とは違うと思いますねぇ。見ててね、なんでそんな、と思うようなところがありますね。へまなことをやってますよね。

やはりご主人を頼って生きてこられた分ね、何かあったら『お父さん、どうする』みたいなところがあって、自分で決められない。決める力がない。

私は自分で決めていくしかないという違いね。私なんか、母親も私にすがるという感じでしたからね。母の入院なんかの時、病院を決めるのも私でしたし。そういう意味では女一人の方が強いですね」

終活は、依存心を乗り越えないとできない

こうはっきりと言われると、「夫、子どもがいる私自身にも根深い依存心があるなあ。でも、『どうにか妻がしてくれるだろう』と、その私に依存している夫の方が、いざという時もっと窮地に陥るだろうなあ」、そう思ってしまう私がいた。

と同時に、そうした形の相互依存の中で、何の備えもしないまま、ひとり暮らしになり、80代、90代の長寿期に突入する人たちが大量に増えていくのが、これからの時代である。

そうした時代、家族を作るという生き方をしてきた人たちが、家族への依存心を乗り越えて、自分で考え、選び取る「老い支度」「死に支度」をすることは、シングルであるために否応なくそういう生き方をせざるを得なかった女性たちに比べ、さらに大変なことになる。そうした依存心を乗り越えてひとり暮らしに自分で備えていける人がどれくらいいるだろうか。でも、それができない人ばかりだと、大変な時代になってしまうと、改めて思ったのだった。

春日キスヨ
社会学者
1943年熊本県生まれ。九州大学教育学部卒業、同大学大学院教育学研究科博士課程中途退学。京都精華大学教授、安田女子大学教授などを経て、2012年まで松山大学人文学部社会学科教授。専攻は社会学(家族社会学、福祉社会学)。父子家庭、不登校、ひきこもり、障害者・高齢者介護の問題などについて、一貫して現場の支援者たちと協働するかたちで研究を続けてきた。著書多数。
(写真=iStock.com)
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