なぜ先進諸国の間で国際政策協調を実現できないのか
そもそも主要先進諸国首脳会議は、1975年にフランスのランブイエで先進諸国6カ国(日本、アメリカ、イギリス、フランス、旧西ドイツ、イタリア)の首脳が集まって、1国だけでは解決することができない、むしろ国際政策協力および国際政策協調によってはじめて解決することができる、これらの国々が共通に直面する諸問題を議論する「場」として始まった。
最初のランブイエ・サミットでは、6カ国のみの参加であったことからG6首脳会議であった。しかし、翌年、プエルトリコのサンファンで開催されたサミットでは、カナダが加わって、G7首脳会議となった。その後、90年代にロシアが非公式、あるいは、公式に部分的にサミットに参加することとなり、98年にイギリスのバーミンガムで開催されたサミットから、G8首脳会議と呼ばれるようになった。
ロシアを先進国と呼ぶことができるかどうかは議論のあるところであるが、少なくともロシアを除く7カ国は主要先進諸国とみなされて、これらの国にとって共通の問題がこの会議の場で議論されてきた。
先進諸国首脳が開催する会議だからといって、必ずしも毎年のG8首脳会議において円滑に合意形成がなされてきたとは限らなかった。例えば、為替相場水準に関する認識に差異があったり、あるいは、為替相場の安定化に関する共通の認識が取れなかったときもあった。
日本が円高を経験したとき、為替相場の安定化を日本政府が主張しても、アメリカ政府などがそのことに関心を示さなかったこともある。このように、先進諸国という同じ特徴を持った国と国との間においても、国際政策協調を実現できなかったときもあった。
そもそも国際政策協調とは、各国政府が他の国の政府の政策を所与として、自国にとって最も望ましい政策を採ろうとしたときに、結果的に望ましくない状態に陥ってしまう状況において、そのような状況から抜け出すために、国際的に政策を協調することによって対処しようというものである。逆に言うと、国際的に政策の協調ができていないとき、すなわち、「協調の失敗」状態にあるときには、各国経済は、より望ましくない状況にある。