「政府の法的な正当性を認定した司法の判断を軽視するもの」

読売社説は最高裁の判決については、「辺野古の埋め立て承認の問題は司法の場でいったん決着した」と書き、次のように展開していく。

「翁長氏は2015年、前知事による承認手続き時に瑕疵があったとして、承認の『取り消し』を行った。最高裁は翌年、翁長氏の判断を違法と結論づけている」
「県は、『撤回』は承認後の違反が理由であり、『取り消し』に関する最高裁判決は影響しない、と主張している」
「政府の法的な正当性を認定した司法の判断を軽視するものだ。工事停止ありきの姿勢は、強引との批判を免れまい」

「司法判断の軽視」や「強引な姿勢」という指摘は理解できる。読売社説が正論だろう。沖縄県の言い分や朝日社説の主張に無理がある。

読売社説は「沖縄では11月に知事選が行われる。翁長氏は4月にがんの手術を受け、出馬するかどうか明言していないが、工事を遅らせることで基地問題に再び焦点をあてようとしているのだろう」と分析する。見出しもそこを突いて「承認撤回は政治利用が過ぎる」と批判している。

ボタンのかけ違いを放置したまま突き進めば失敗する

そのうえで読売社説はこう主張する。

「国家の安全保障にかかわる問題を政争の具とすべきではない」
「辺野古移設は普天間飛行場の危険性を除去し、米軍の抑止力を維持する現実的な選択肢である」

保守の読売らしい主張ではある。だが、ここは納得し難い。

なぜなら国家の安全保障を人質に取って辺野古移設の正当性を強調しているからだ。地元沖縄の自然環境はどう守るのか。サンゴが息絶えていけば漁場も消えてなくなる。そこに暮らす漁民ら沖縄県民の生活はどうなるのか。安全保障のために自然環境や地元住民の気持ちを犠牲にしている。

世界から評価される沖縄の海を守りながら、安全保障を確保することはできないのか。自然環境と安全保障をともに生かす方法はあるはずだ。その方法を見つけるにはバランス感覚を養うことだと思う。

撤回、工事の中断、撤回取り消し……。混乱が続く辺野古移設問題を見ていると、空港建設や滑走路新設で揺れに揺れたあの「成田闘争」を思い出す。成田国際空港(千葉県)の問題は、バランス感覚を喪失したボタンのかけ違いから始まったからだ。

なぜ辺野古移設が必要なのか。国は根気強く地元に説明し、きちんと理解を求めていくべきだ。そして地元沖縄も、国の説明にしっかり耳を傾けることが求められる。ボタンのかけ違いを放置したまま突き進めば、不幸が繰り返されるだけだ。

(写真=時事通信フォト)
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