ナマズの研究と称して、タイへしばしば旅行

だが、学習院時代から女性にモテたといわれる秋篠宮は、結婚してからもいくつかの艶聞情報が流れた。なかでも、ナマズの研究と称して、タイへしばしば旅行をしていた。1人で出かけることもしばしばあった。

クリントン米大統領が来日した時にも、宮中晩餐会をタイ旅行中で欠席したことが話題になった。タイ人の女性と付き合っている、いや、タイの国王の娘と恋愛関係にあるという噂が、われわれの耳にも入ってきた。

その頃は週刊現代編集長だったと思うが、記者をタイへ取材に行かせた。真偽のほどは確かではないが、それらしい女性を特定したという報告が来た。

そこで、ダメ元で秋篠宮にそれをぶつけようと考えた。今考えれば、無謀というしかないが、軽井沢で静養しているという情報があり、私が取材のお願いを書き、ちょうど軽井沢へ行く用があったので、私が持っていくことになった。

だが、いくら探しても秋篠宮には出会えなかった。そこで、秋篠宮が泊まっているホテルへ行って、フロントで秋篠宮さまに渡してくれと頼んだ。

秋篠宮さまから筆者に届いた「手紙」の内容

返事が来るとは期待していなかったが、10日ほどたってからだったか、私宛に秋篠宮から手紙が来たのだ。

驚いて開けてみた。内容は、そうした噂があることは承知しているが、まったくそういうことはない。だが、これからはそうした噂が出ないよう身を慎む、というようなことが書いてあったと記憶している。

いい人だな、そう思った。同じ頃だったと思うが、紀子さんと秋篠宮の仲がこじれて、紀子さんが実家に帰っているという情報があった。

これも私が記者と一緒に、確か学習院大学の裏手にあった寮に住んでいる紀子さんの父親から話を聞いたことがあった。

やさしい学究肌の人だった。不躾な質問に嫌がりもせず、時に笑いながら話してくれた。

若い2人が時々夫婦げんかすることはあるようだ。だが、しばらくすると仲直りしているから心配はしていない。

秋篠宮の浮気については、そうした噂はあるようだが、私にはわからない。

秋篠宮家はトラブルへの耐性をもった家庭

やや気が強くしっかりした女房と、少し頼りないが優しい亭主。皇族もわれわれ下々も、夫婦の生活はそう変わらないようだ。心がホッコリしたような気分で、帰途についたことを覚えている。

長い夫婦生活の間には、多少の波風はどこの家でもあるが、秋篠宮家はそうしたトラブルへの耐性をもった家庭である。

紀子さんが、長男・悠仁さんを産んでから、秋篠宮家を取り巻く環境はガラッと変わった。皇太子夫婦に男の子がいないため、今の制度では、現皇太子が新天皇になり、退位した後は、悠仁さんが天皇になり、紀子さんは皇太后になる。

そういうこともあってか、このところ紀子さんバッシングが激しい。東宮に比べておカネが少ないことをこぼしていた。女官たちを怒鳴りつけた等々。なかには、雅子妃が皇后になっても、病のため公務を続けられなくなり、新天皇は早く引退するのではないか。それを紀子さんは狙っているなどと、心無いことを書く週刊誌まである。

だが、心の強い紀子さんは、そんな風評などに惑わされたりはしない。自分の信じた道を行くはずだ。