核共有論の大きなメリット

また、圧力の側についてもこれまでの対応はいかにも中途半端でした。圧力が、たいして効果を期待できない経済制裁をほぼ自動的に意味するというのもおかしいでしょう。2006年に北朝鮮が核実験を行って以降も、日本の安全保障政策はじつに緩慢な変化しか経ていません。財政上の制約があるとは言え、国防費については5兆円水準のままです。2015年に安保法制が成立して集団的自衛権の行使が可能となったことは一定の成果ですが、逆に言えばそれくらいしか目立った変化を特定できないのが、日本の実態です。

北朝鮮の核保有国化は、1964年の中国の核保有国化や冷戦終結に匹敵する日本の安全保障の根本的な変化です。その変化の大きさに対応した政策変更が当然検討されるべきです。本年初頭から私が提唱してきたのは、非核三原則のうちのいわゆる「持ち込ませず」を撤回して、米国との間で核共有を進めることでした。政策変更の目的は、軍事的には即応性が高まることですが、重点は政治的象徴性の方です。

最大の意味は、核抑止について日本が当時者となること。現状のままでは、北朝鮮に核放棄を迫る上で、日本の存在感はほぼゼロです。日本の安全保障が根本的に脅かされ、いざ有事となれば国民の生命・財産が危険に晒されるにも関わらず、日本は核兵器を使用するという決断にも、使用しないという決断にも噛めないのです。日本の主要都市が核攻撃に晒されるかもしれない開戦や、核使用の判断に国家として参画できないのは、独立国としてあり得ないのではないでしょうか。

そんな状況が続いてきたのは、時の政府が国民の反核感情を思考停止の言い訳として使ってきたからです。そろそろ、そんな時代に幕引きしないといけません。核兵器が配備されて現実の安全保障政策上の課題となっている中で、核兵器が有する非人道性を強調して技術そのものの倫理性を強調する姿勢は建設的でありません。そもそも、戦後の平和は核の均衡の下で成立したものなのですから。

核共有論のもう一つの大きなメリットは、日米安保体制や核不拡散体制と整合的であるということです。核共有論について提起すると、米国が認めるはずがないという反応が返ってくるのですが、この点については、トランプ政権は歴代政権とはずいぶん異なる発想をするでしょう。私が米国の専門家と議論してきた感覚からすると、日本に特化した専門家ほど懐疑的で、幅広い地域や安保の専門家は、こうした変化の必要を認識しています。

まとめ

本稿は、北朝鮮の核を取り除くためには陸上戦力の投入が必要という米国防総省の指摘から入って議論を展開してきました。それは、朝鮮半島有事が、我々の想像を絶する犠牲を伴うものであることを物語っています。しかも、その戦闘を通じて東アジアの平和と戦略バランスが改善する見込みはそれほど高くありません。我々は、「封じ込め」を目的とする緊張感が持続する時代を生きていることを自覚しなければならないでしょう。いまこそ、時代にあった政策への転換が求められているのです。

※本記事は、三浦瑠麗公式メールマガジン「自分で考えるための政治の話」からの抜粋です。

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