小池さんの「排除」発言の文脈とは
メディアはこぞって「排除いたします」の場面を繰り返して放送し、あらゆる媒体の見出しにも「排除」の文字が躍った。この言葉が和を尊ぶ日本人には冷たく響き、選挙の行方に大きく影響を及ぼしたことは、本人も「慢心だった」と認めている。
さらにネットでは、「前原さんをだました?」の問いに、「ふふふ」と笑う映像がキュッと短く切り取られて拡散。風向きは一変し、国民の多くが小池さんにそっぽを向いた選挙戦となった。尺が長いテレビやスペースがある紙媒体では、若干でもその前後が出てくるだろう。だがネットの特にSNSではほんの数文字程度、映像も数秒だけ切り取られがちだ。そして、映像を切り取った側の意にそったテロップもつけられる。
そもそもの流れを見ると、この言葉を使ったのは前原さんからのようだ。該当する記者会見の場面は、次のようなやりとりだった――。
【横田】前原代表が昨日発言した「(希望の党に)公認申請をすれば、排除されない」ということについて小池知事・代表は、安保・改憲で一致する人のみを公認すると。前原代表をだましたのでしょうか。共謀して「リベラル派大量虐殺、公認拒否」とも言われているのですが。
【小池知事(=代表)】前原氏がどういう表現をされたか、承知をいたしておりませんけども、「排除されない」ということはございませんで排除いたします。取捨(選択)というか、取捨じゃないですね、絞らせていただきます。
それは、安全保障、そして憲法観といった根幹の部分で一致していることが政党としての、政党を構成する構成員としての必要最低限のことではないかと思っておりますので、おひとりおひとりこれまでのお考えであったり、そういったことも踏まえながら判断をしたいと思います。(現代ビジネス10月24日「『排除』発言を引き出した記者が見た『小池百合子の400日』」)
確かに「排除いたします」のくだりは冷たく響いたが、「それは、安全保障~」以降も見ていくと、少し印象は変わってくる。政党として所属議員の理念の一致は根幹であり、政治観が違えば選択枠から除くという趣旨だった。擁護するつもりはさらさらないが、本来の政党のあり方という意味では小池さんの言うとおりだろう。もちろん、前原さんとのやりとりに何があったかによっても、また受け取り方はまた変わるのだが。
では、言い方が違ったらどうだったのだろう。