こうした知識はほんの一例に過ぎないが、多数の労働相談を受けた際に、アドバイスとともに労働者たちにお伝えしていった内容である。そして、これらの内容について、多くの労働者は全く知識がなく、「そうなんですか!」と闇夜が晴れたような顔で返事をしていた。
どうしていいのか全くわからないという状態の労働者のみなさんに光明を見出すことのお手伝いができたのだから、それ自体はとても嬉しいことではあった。しかし、なぜこのような基本的な知識を労働者たちは知らないのか、ということには疑問を覚えざるを得なかった。
労働法は、労働者の権利と生活を守るところにその基本的な役割がある。しかし、保護の対象としている当の労働者たちがその権利を知らないということでは、法は絵に描いた餅となる。
なぜか? その理由は簡単である。
私たちには、労働法を学ぶ機会がなかった。ただ、それだけのことである。
学校でも家庭でも学ぶ機会なし
私自身は1970年の生まれだが、これまでの学校教育、とくに中学・高校の公民を思い返してみて、法について学んだ記憶は、日本国憲法の基本的な成り立ちについてのみ、である。労働法については、学校教育の中では教育を受けた機会がなかったと思う(記憶に基づくので断言はできない)。
では、そのほかの生活の中ではどうか。
両親から、労働法の成り立ちや意義、その内容について伝えられたことはない。親戚や地域の人たち、塾などでも。
おそらく私の体験は、現代の日本人の標準的な体験ではないかと思われる。
つまり、私たちは、社会に出る以前に、労働者としての基本的素養として、労働法を学ぶという体験を持たないまま実社会に投げ出されていることになる。
学ぶ機会がないから、知らない。実に単純明快である。