「でかい口たたくなら、俺よりも高い給料を取れ!」

子育ては、本来ひとりでやるものではない。ところが「産んだ責任」という理由で、母親ひとりに押し付けている。もし母親たちに糸電話で「少子化の原因がどこにあるのか?」と聞いたなら、張りつめた糸の先から「ワンオペなら、もう限界!(二度と産むか~!)」という「叫び声」が聞こえてくるだろう。

このことを父親である夫はもっと正面から受け止めなければならないと思う。

家庭生活は、誰かひとりの犠牲、または多大なる献身によって成り立たせるべきではない。これは育児だけでなく、介護でもそうだ。1本の糸で張り続けると、その糸はとても弱くなる。クモが出す糸のように、数種類の糸で暮らしのリスク管理を行わなければ、その家庭はいざというときに、もろく崩れてしまうだろう。

誰かに負担がかかるなら、それを分かち合ったほうがいい。誰かが不満をずっと抱えたままでは家族でいつづけることは難しくなる。

「私ばっかりに押し付けて!」
「俺だって、遊んでいるわけじゃないんだぞ!」
「残業、残業って、たまには早く帰れないの?」
「オマエに仕事のきつさがわかってたまるか!」
「私だって、働いてますけど?」
「でかい口、たたくなら、俺よりも高い給料を取ってきてから言え!」
「あ~もう、鍋が焦げるから、あなたは泣いてる赤ちゃんを見て来て!」
「おい、ウンチが出たって!」
「アンタは大小便の報告係か!?」

なんて会話が続いたら、妻は間違いなく、夫との間に「万里の長城」よりも高い「鉄壁の壁」を造り上げるだろう。

▼欲しいのは、「ひとりでゆっくりトイレをする時間」

夫に不満をぶつけられるなら、まだいい。もっと悲惨なのは、自身は「ワンオペ育児」で疲弊しているが、「夫も大変なのに子育てに参加しようと頑張っている」と思いこんでいるパターンだ。こうなると、自分の苦しみを誰にも吐露できず、さらなる疲弊を招くことになる。

こうした状況に対し、誰かに「育児とはそういうもの。皆、そうやってきた。この大変さは後できっと宝物」と言われた日には立ち直れないだろう。育児を終えた今は確信をもって言えるが、こうした言葉はキレイなごまかしにすぎない。母親が欲しいのは「後の宝物」ではなく、「今の睡眠」。ひとりでゆっくりトイレをする時間さえないのが、育児の現場なのだ。