認知バイアスは自分だけでは治らない
では、どうすればバイアスを免れることができるだろうか。
ヒースが真っ先に挙げる答えは「他者の誤りを正そうとする意志」、要するに「あなたは間違っている」と言ってくれる他者の熱意というものだ。
ちょっと肩透かしを食らった気がするが、認知バイアスは自覚して治るものではないのだから、自分以外の何かに頼るしかない。そもそもソクラテスだって、わざわざ問答をすることで、相手が「無知の無知」であることを論証していったのだから。(「実験で証明!『知識や技能が低い人ほど自己評価が高い」』を参照 http://president.jp/articles/-/21413?page=2 )
とはいえ、私たちの認知バイアスをしょっちゅう修正してくれるような他者なんて、そんなにいるとは思えない。家族や仲間、同僚の場合、身内びいきの「マイサイド・バイアス」の罠に陥って、誤りがいっそう増幅してしまう恐れもある。
ここで、近代哲学の祖とされるルネ・デカルトに登場願おう。というのも、彼こそ中世と近代の過渡期にあって、バイアスを取り除くことに激しい欲求を抱いていた人物だったからだ。
デカルトの主著『方法序説』は、哲学書としては異例といっていいほど読みやすい。しかも、凡百の自己啓発書が束になってもかなわない知恵が詰まっている。この記事を読む時間があったら、読者には『方法序説』を読んでほしいと思うくらいだ。
『方法序説』のユニークなところは、デカルトが自らの生涯をたどりながら、「どのように自分の理性を導こうと努力したか」を自伝的に語っている点だ。
その第一部には、彼が学校で学ぶ学問に期待し、幻滅するまでの経緯が率直に語られている。
<わたしは子供のころから文字による学問〔人文学〕で養われてきた。そして、それによって人生に有益なすべてのことについて明晰で確実な知識を獲得できると説き聞かされていたので、これを習得すべくこのうえない強い願望をもっていた>(『方法序説』谷川多佳子訳、岩波文庫)
ところが、学業の全課程を終えると、デカルトは「まったく意見を変えてしまった」。
<というのは、多くの疑いと誤りに悩まされている自分に気がつき、勉学に努めながらもますます自分の無知を知らされたという以外、何も得ることがなかったように思えたからだ>
この後で、デカルトは、学校で学んだ歴史、修辞学、神学、哲学に批判の矢を浴びせるが、数学だけは違った。数学の論理は、人文系の学問と違い、「確実性と明証性」を備えていたからである。