活躍したい女性が活躍できる社会が必要
【塩田】知事になる前、リクルートを辞めて、なぜ山形に帰郷したのですか。
【吉村】それは家庭的な事情です。夫とは高校のときに知り合いました。私は女子校の山形西高、夫は山形東高で、3年のときに受験生の代表として一緒にテレビに出たりしました。でも、付き合いはなく、大学に入った後、東京に行ってから誘われて交際が始まり、76年に結婚しました。夫は会社員でしたが、夫の母が病気をして、長男だから山形に帰らなければ、ということになり、夫は司法試験を受けるべく東京に残り、私と長女は78年に帰ってきました。
【塩田】ですが、ご主人が他界し、47歳で社会復帰したのですね。
【吉村】夫は午後の日だまりのような人間で、優秀なだけでなく、とても温かみのある非常に懐の深い人間でした。夫が亡くなったとき、夫の両親は社会から退いていましたので、私がしっかりしないといけないと思いました。それまで家制度は大嫌いだったけど、自分が家の中心になってみると、頑張らなければいけないという気持ちになりました。
社会復帰して山形市総合学習センターに勤務し、資格を持っていたので、その後に自宅で行政書士を開業しました。半分は自分のため、半分は社会のためにというのが、夫が指導していた少林寺拳法の教えなんです。人間は一人で生きているのではありません。個人としても大事ですが、社会の中、自然の中の一存在だという視点も大事です。
【塩田】知事就任の前、たくさんの審議会や委員会の委員を引き受けていますね。
【吉村】山形県の教育委員会、県総合政策審議会、私立学校審議会、県入札監視委員会、山形市個人情報保護制度運営審議会、県職業能力開発審議会、県農業農村振興懇話会などの委員もやっていました。さまざまな分野の委員をやると、いろいろな仕組みや状況がわかり、知事になってから大変役立ちました。
たくさん引き受けたのは、女性の委員が少なかったから。1人がたくさんの委員をやるのはどうかなと思いますが、10年前はとにかく女性を入れなければという事情がありました。私のほうは、生活しているのは庶民だから、プロだけでなく、一般の人も委員として入るべきだと思っていましたので、きた話はみんな引き受けていました。
【塩田】初当選した09年の知事選で、退職金返上を公約して話題になりました。ですが、13年の再選の際、2期目は受け取ると表明し、話が違うのでは、と批判も噴出しました。
【吉村】4年間働いて3800万円というのは、庶民感覚でいうと、それって多すぎるよねという感じもありました。いろいろな政策があるわけですから、何にでも使えたらいいなというのが最初の感覚で、1期目は私の意気込みで「返上」と言いました。
その後、調べてみたら、返上しているほかの知事たちが、2期目はもらうことにしたとか、そういう話があって、私も2期目は普通の流れで行こうかなと思いました。そしたら、それはどうなのか、という話が出て、県民からもそういう反応がありました。だったら、すっきりと返上をしたほうがいいと思い、2期目も返上しました。
【塩田】人口減時代の社会・経済の活性化と関連して、「女性の活躍」が重要なテーマとなり、安倍内閣もその方針を掲げています。女性知事として、「女性活躍社会」実現のポイントはどういう点だとお考えですか。
【吉村】憲法は、男女は本質的に平等とうたっていますが、「女性の活躍」には、何よりも活躍したい女性が活躍できる社会が必要です。活躍するには結婚や子育てはちょっと無理という社会はよくありません。
自然体で結婚して子育てもして活躍もできる、男性も女性も共に育み、共に働くという社会を実現していかなければならないと思っています。