国会議員としてどういう足跡を残すか

【塩田】12年の総選挙では、いきなり54議席を獲得して野党第2党になりました。

【馬場】国政は大阪のメンバーも経験がなかった。どうしてもよちよち歩きになるから、最初は経験のある大きな力を持った人と一緒にやらなければ、という気持ちでした。

【塩田】馬場さん自身、国会議員になって「永田町政治」をどう受け止めましたか。

【馬場】私は国会議員の秘書上がりで、議員会館に4年勤めていたので、トレーニング期間もあったし、当時の知り合いもいた。ですが、市議会とは、議会の仕組みや改革のスピードが違う。前例、前例の国会には、改革しなければということが目茶苦茶あります。

【塩田】馬場さん自身、将来、どんな政治家を目指していますか。

【馬場】中山太郎先生(元外相)の秘書として、臓器移植法などの議員立法の重要さを勉強させていただいた。地元の堺市議で肝臓を悪くした方が肝移植しか方法がないという話になり、アメリカに行った。「生体肝移植は外国に行かなければダメだけど、なんとか日本でもできるように」とその方が中山先生におっしゃった。医師だった中山先生の頭の中にそれが強烈に響いて、議員立法を懸命にやり出したわけです。私も議員立法をやっていきたい。その後に憲法改正ですね。中山先生はこの問題にも一所懸命でした。

政治家は何か足跡を残す仕事をやることが大事です。永田町の議論を聞いていると、学者同士が何か法律論争をしているような感じで、何をするのか、どういう結果を出すのか、議論の中でそこが見えないと思います。今、自分がいる国会議員というステージでどういう足跡を残すかをつねに中心に考えてやっていくのが、自分が目指す政治活動です。

今は大阪都構想にかかりっ切りです。大阪都構想の中身をブラッシュアップして「新大阪都構想」をつくろうとしています。大阪を副首都と定めれば、大阪都構想が加速すると思います。そういう仕掛けをしていくのが今の僕らの仕事と思っています。

【塩田】ここまでの人生で一番苦しかったことと、逆に一番嬉しかったことは何ですか。

【馬場】私は高卒ですが、高校を出て3年間、大阪で外食レストランの「ロイヤルホスト」のコックをやっていました。3交代できつかった。サービス残業は当たり前の時代で、正月も盆もない。働くということがどれだけしんどいことか、徹底的に植え付けられましたね。つい2~3年前まで1年に1回くらいその仕事をしている夢を見たんです。どんどんオーダーが入り、追いまくられて、どないしょうという夢です。

国民は、苦労して働いて納税しているのですから、政治家は税金のありがたさ、重たさを認識しなければと思います。一般の国民はどういう生活しているのか、わかった上で政治に向かわなければ。国会で1億円や2億円と言うと、「そんなちっちゃいことを言うたらあかんわ」と言われる。「あんたの金、ちゃうやろう。国民の税金を、そんなちっちゃいことや言うなんて、どういうことやねん」と先輩議員と言い合ったことがあります。

私はもともと政治家志望ではなかった。青年実業家を目指していたんです。秘書にならせていただいたのは、商売をする場合に社会勉強が必要で、人と人とのつながりを勉強させていただこうと思ったんです。ところが、堺で市議の補欠選挙があり、中山先生から「おまえがやれ」と候補に指名された。でも、当選した瞬間、「この業界に入った以上、絶対トップになったる」と思った。総理大臣を目指すには、国会議員にならなければ資格がない。そこへ近づいたわけで、一応、有資格者の1人となったのが一番嬉しかったです。

馬場伸幸(ばば・のぶゆき)
おおさか維新の会幹事長・衆議院議員
1965年1月27日、大阪府堺市生まれ(現在、51歳)。大阪府立鳳高卒。卒業後、3年間、オージーロイヤル(現ロイヤルホスト)でコックを勤め、86年から中山太郎(当時は参議院議員。後に衆議院議員。元外相)の秘書となる。93年に堺市議補選で初当選(自民党)。12年まで6期在任し、11~12年に堺市議会議長。12年12月の総選挙に日本維新の会公認で大阪17区から出馬し、初当選(現在、当選2回)。14年12月から15年9月まで維新の党国会対策委員長、15年12月からおおさか維新の会幹事長。15年10月に「日刊ゲンダイ」が「毎月 300万円の大豪遊…分裂『維新』大阪組の異常なカネ遣い」という見出しで「馬場伸幸衆院議員の金遣いの荒さが大問題」と報じた点について、「まったく事実ではない。当時、松野頼久・維新の党代表が記者会見で全面否定したのに、『日刊ゲンダイ』が再度、記事にしたから、きちんと法的措置を取ることにして訴えた」と話している。
(尾崎三朗=撮影)
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