日本の文化や技術はものすごい価値がある

【塩田】長い歴史の中で、われわれは今、どんな時代を通過していると思いますか。

【川端】戦後70年を振り返っていろいろ考えたとき、民社党時代も含めて、外交・安保政策で、普通の国か特別な国かと議論してきました。ところが、いろんなところで今、日本が見直されている。和食とかものづくりとか、それも職人の技などに。日本で廃れてきたものに外国人が光を当て、鰹節のダシがすごいとか、フランス人のシェフが日本の田舎に行って何か探したりする。日本人が普通のことと思って、そんなに大事にしてなかったものまでが、世界から見たらすごいと言われ出した。

実は日本の外交・安保政策でもそういう見方もあるような気がしています。外国の人が来て、みんな言うんです。この国とあの国が目茶目茶、深刻にもめて、殺し、殺されとやっているのに、その国の人たちが日本に来ると、日本は本当に紳士的で、昔こんなことで助けてもらったとか、感謝の言葉を口にする。日本に対する憧れもあり、みんな技術力に対する注目度が高く、これからもよろしくという感じです。

これは日本人がつくってきた文化や技術と同時に、日本が世界の中での立ち位置で、結果として一人も殺さず、殺されずということをつくり上げたてきた。それが戦後70年経って、ものすごい価値になっている。そんな国かもしれないと思う。それを棄てて普通の国になるという選択するのか、それをもっと生かして特別な国のままでいるのか、今、考えどころに来ています。私は両面だと思うんです。自分も政治家として両面があります。

SMAPが歌っている歌「世界に一つだけの花」の中に「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」という歌詞があります。フジテレビの番組で、15年に世界に誇る日本の歌ナンバーワンに、この歌がなった。今聴いて、一番いいなと今の人が思ったということです。世の中の人も、一番は無理よねというのもあるかもしれないけど、本当に個性的にこれがいいというのがいいと思う時代に変わってきた。テレビを見ていて、自分が今、思っていることと何か似ているなと思いました。

【塩田】先の日野原氏の話では、川端さんは30年の人生がありますが、これからどんな役割を担っていこうとお考えですか。

【川端】手前味噌ですが、ありがたいことに、いろいろな経験をさせてもらった分、いろいろなことを幅広く考えられるのは経験のなせる業かなと思います。私はあまりディベートなんかは得意でないから、華々しい議論をするつもりはありませんが、みなさんに育ててもらったことへのお返しは、みんなが選んだ政治がみんなのためになるという、もう少し成熟した民主主義の国にすることで、その点で多少お役に立つことがあるのかなと思っています。認知症にならないように気を付けて、日野原先生に倣って、あと30年、頑張らなければと思っています。

川端達夫(かわばた・たつお)
衆議院副議長
1945年1月24日、滋賀県蒲生郡(現近江八幡市)生まれ(現在、70歳)。滋賀県立彦根東高、京都大学工学部を経て、京大大学院工学研究科修士課程修了。東レに入社し、炭素繊維や逆浸透膜などの開発に従事する。東レ労働組合滋賀支部長を務め、当時の武村正義滋賀県知事(後に蔵相)の選挙応援がきっかけで政界入りを決意。1986年総選挙で民社党公認で初当選し、以後、落選を挟んで計10回当選(旧滋賀全県区・現滋賀1区・比例近畿ブロック)。民社党、新進党、新党友愛を経て民主党に。国会対策委員長、幹事長を歴任し、2009年に鳩山由紀夫内閣で文部科学相(菅直人内閣でも再任)、11年に野田佳彦内閣で総務相となる。14年12月に衆議院副議長に就任。壊れたものを直すのが趣味で、「何でも直します。不具合になったら、なぜ不具合なのか、調べたくなる」と話している。
(尾崎三朗=撮影)
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