【田原】やめてどうしたのですか。
【松田】まだ学生だったので、国家公務員一種試験を受けました。
【田原】音楽家とは方向性が180度違いますね。
【松田】保守的な親のもとで育ったので、安定した仕事に就いたほうがいいと考えたんです。ただ、結局試験には落ちて留年。次の年に就活して、銀行に就職しました。
【田原】これもまた保守的だ。
【松田】お堅い仕事に就いて親を安心させてあげたいという思いがある一方で、新しいことをしてみたいという気持ちもありました。たまたま会った銀行のリクルーターの人が魅力的で、この銀行ならちょうどいいバランスで仕事を楽しめるかなと思って入社しました。でも、その銀行も1年半で辞めました。一番いい支店に入れてもらったのですが、ふと横を見ると先輩、課長、部長、支店長が並んで座っている。自分もああなるのかと思うと、急に醒めてきてしまって……。
最初の起業は失敗倒産寸前に……
【田原】先が見えちゃうとつまらないですからね。それからどうしたんですか?
【松田】東京の小さなベンチャーキャピタルに転職しました。仕事は楽しかったですよ。会社の近くに住んで、毎晩終電が終わっても働いていました。数字も積み上がって、会社のナンバースリーまで出世しました。
【田原】でも、そこも2年で辞めたそうですね。
【松田】会社のトップと価値観が違ったのです。その会社のトップは社員に激しく詰め寄るタイプ。組織をどう運営するかという哲学のところで、何度も衝突して辞めてしまいました。退職後は、マッキンゼーの採用試験を受けましたが、これは失敗。それなら自分で会社をつくるしかないと思って起業したのです。
【田原】それは八面六臂とは別の会社ですか。
【松田】はい。私が起業したのは、2007年。当時すでに電力の自由化が始まっていましたが、民間電力会社から電力を買う事業者はほとんどいなかった。まだ普及していないなら逆にチャンスだと考えて、民間電力会社の電力を売る会社をつくりました。