「政権を取ったら10年やらなければ駄目だ」

【塩田】民主党は、次の参院選でどうやって自民党を追い詰めていくかがポイントです。

【北澤】まず維新の残った人たちとの協力をスムーズにやる。それから候補者をしっかり立てなければ。それが最大の課題で、岡田さんが一所懸命やっています。

党の路線や政策は、特に変えることはないでしょう。安全保障については国会での議論を通して民主党の主張は国民に定着したと思います。問題は経済政策です。財政再建と経済対策をどう組み合わせて国民にわかりやすく持ちかけるかです。年金と介護が大変なことになっているから、これを選挙のマニフェストでどう発信していくかにかかっている。

【塩田】政権担当時代、民主党は経済に疎く、国民生活に有効な経済政策を機動的に打ち出すことができず、「経済無策」だったと受け止めている国民が今も多いようです。

【北澤】それは勘違いで、われわれは授業料無償化、地方に対する一括交付金など、国民に投資をすることを基本にした。その結果、国民の生活が安定し、経済のエンジンである個人消費が伸びれば、エンジンが回転していくという政策でした。結果が出ないうちに、3年3カ月で政権を追われた。昔から羽田孜さん(元首相)が「政権を取ったら10年やらなければ駄目だ。10年やれば成果が上がる」と言っていましたが、そのとおりですね。

【塩田】自民党政権が10年続いたら、民主党は持たなくなります。ところが、おそらく多くの国民は2020年の東京オリンピックまでは続くと思っているみたいです。20年まで続けば、自民党政権は8年ということになりますが、民主党復活の道は。

【北澤】参議院議員の任期は6年ですから、来年の参院選で勝てば、その状態が6年続きます。予想の倍の勝ちを収めれば、勢いは3年後も続きますから、次の次の19年の選挙もそんなに負けない。国民はねじれ国会はいけないと言いながら、期待する面もある。私はねじれの時代、野党側で参議院の国対委員長を長くやりましたが、ねじれは本当に政府を糾すのに効果があります。その間に衆議院総選挙が入るでしょう。1発目の参院選で勝つと、総選挙もそこそこ勝ちます。

【塩田】北澤さんご自身についてお尋ねします。なぜ政治家に。

【北澤】大学を出てほぼ10年、サラリーマンをやって、長野県議だった親父が急に死んだから、後継の県議としてこの世界に入りました。国会で挨拶回りをしていたら、偶然、羽田さんも親父さんの跡を継ぐというので、じゃあ一緒に回ろうという話になった。それからは国会に出るときも完全に羽田さんのルートで行きました。

【塩田】1993年に羽田さんと一緒に自民党を離党し、以後、同じ道を歩いてきましたね。

【北澤】あの人は一途です。人を区別しない。それから、徹底的に人の話を聞く。自分は何も知らないというところに立って、人と話をする。私自身も凡庸だけど、凡庸の効用は羽田さんから学びました。

自民党を出るのは本当は嫌でした。だけど、羽田さんから「政権交代可能な2大政党政治をつくる」と懇々と説かれた。私も一党だけの自民党政権下で傲慢になっていると感じていたから、1955年体制なんか続きっこないという羽田さんの主張に共感した。一度、自民党を出た後は、性格的にいって戻るという選択肢は私にはまったくありませんでした。

【塩田】長い政治家生活を振り返って、現代は歴史の中でどんな時代と感じていますか。

【北澤】大きな変革期ですね。戦後の70年をどう見るかですが、貴重な70年です。1945(昭和20)年の70年前は1875(明治8)年で、まだ西南戦争も起きてない。その後、日清戦争、日露戦争、第2次世界大戦と戦争をやってきた。この70年と比べたら、日本は素晴らしい国をつくったと思っています。その戦後の70年を、安倍さんはどれほどの信念と説得力があって、違う国に変えていこうとしているのか、まったく見えません。

北澤俊美(きたざわ・としみ)
参議院議員・民主党副代表兼安全保障総合調査会長・元防衛相
1938年3月、長野県更級郡川中島村(現長野市)生まれ(現在、77歳)。長野県立屋代高校、早稲田大学法学部卒。前田道路に就職し、サラリーマンの後、死去した父・北澤貞一(元長野県議)の後継者として75年に長野県議に(5期)。92年の参院選に自民党公認で当選(長野選挙区。以後、当選4回)。中央政界では羽田孜元首相の側近として活躍。93年に自民党を離党して新生党の結党に参加。新進党、太陽党、細川護煕元首相らのフロムファイブ、民政党を経て、98年に民主党に。2000年に民主党参議院幹事長。参議院の国土交通委員長、外交防衛委員長を歴任した後、09年9月から11年9月まで鳩山由紀夫内閣と菅直人内閣で防衛相を務める。2015年の通常国会では、安全保障関連法案を審議する参議院安保特別委(我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会)の筆頭理事として腕を振るった。『日本に自衛隊が必要な理由』という題の著書がある。「77歳の今でもスキーはやるし、ゴルフも大好き。ほかに趣味は陶芸と畑仕事」と話している。
(尾崎三朗=撮影)
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