ブレイクスルーをもたらした「減圧法」
実際にボーリングをしてみると、厚さ14mのメタンハイドレート濃集帯が確認された。が、しかし、期待したフリーガスや天然ガスは存在しなかった。
「思惑と現実が違い、ふたつの見方ができました。濃集帯の端を掘って厚さ14mだったから、かなりの量のメタンハイドレートがある。資源になるという考え方。だけどフリーガスはない。これは開発に時間がかかるとの見方もできる。どちらも正しかった」と増田氏。ここで後者の見方に傾けば、メタンハイドレート開発の道は閉ざされていただろう。
増田氏ら研究者は、メタンハイドレートに希望を託した。国は2001年「我が国におけるメタンハイドレート開発計画」を策定する。01~08年度のフェーズ1では、東部南海トラフにおける濃集帯の物理的探査、掘削調査の解析をして具体的なターゲットを絞り込む。並行して、カナダ北部の永久凍土層の濃集帯からメタンガスを産出させる「陸上試験」をくり返した。01年の最初の陸上試験は「温水循環法」で熱を濃集帯に送り込んでメタンガスを生産したが、試験日数約5日で平均生産量は1日約90m³にとどまった。これではエネルギー収支が悪過ぎて資源化は難しかった。
そこで生産技術を担当した産業技術総合研究所は、掘った坑井から水を汲みあげて圧力を減らす「減圧法」を開発する。08年の第2回陸上産出試験では、試験日数約5.5日で1日平均約2400m³のガスを産出できた。技術の壁がひとつ突破された。
09年度からフェーズ2に入り、JOGMECと産総研が密接に連携するMH21の体制がつくられる。
そして海洋産出試験に向けて入念に準備が整えられ、今年3月のガス生産実験に至ったのである。
春先の東部南海トラフ海域は、荒天続きだった。実験の母船、地球深部探査船「ちきゅう」は、GPS(全地球位置測定システム)で一定の場所に留まりながら、海底の坑井パイプにポンプやヒーター、セパレーターが装備されたツールを下ろしていく。船にとって定点確保は至上命題だ。定点からズレすぎると坑井パイプが折れ、重大な事故を起こしかねない。
船に許された移動範囲は定点からわずか20m。それ以上ズレたら統括責任者の判断で坑井パイプを切り離さなければならない。強い風が連日、吹きつけていた。風速25~30mの強風が吹けば船は間違いなく20m以上流される。船上に緊迫感がみなぎった。
東大のエネルギー資源に関わる教授陣の半数ほどは「海洋でのガス生産は無理だろう」と冷ややかに眺めていたという。増田氏は「陸上試験の結果から推して、1日5000m³出れば御の字だと思っていた。2万m³は画期的な量です。北米のシェールガスだって最初は数千m³程度でした」と語る。
では、MH21は、いかにして世界初の海洋産出試験の難関を突破したのか。今後の技術的課題と商業化への鍵は何か。次回は、そこに焦点を当ててみたい。
[参考資料]
・月刊ビジネスアイ エネコ 2011年11月号(日本工業新聞社)
・新しい天然ガス資源 メタンハイドレート 「我が国におけるメタンハイドレート開発計画」フェーズ2(メタンハイドレート資源開発研究コンソーシアム)
ノンフィクション作家
1959年、愛媛県生まれ。出版関連会社、ライター集団を経てノンフィクション作家となる。「人と時代」「21世紀の公と私」を共通テーマにエネルギー資源と政治、近現代史、医療、建築など分野を超えて旺盛に執筆。主な著書に『気骨 経営者 土光敏夫の闘い』(平凡社)、『原発と権力』(ちくま新書)、『田中角栄の資源戦争』(草思社文庫)、『後藤新平 日本の羅針盤となった男』(草思社)、『成金炎上 昭和恐慌は警告する』(日経BP社)、『放射能を背負って』(朝日新聞出版)、『国民皆保険が危ない』(平凡社新書)ほか多数。